2024.02.27

【連載】ハブでも分かる!?遺老説伝 Vol.65 黄金の瓜子-3

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1740年代に琉球王国の歴史書として編纂された『球陽』の外巻である『遺老説伝(いろうせつでん)』。首里政府が各地に命を出して集めたとされるその内容を、漫画でゆるく描き下してみるという試みです。

ハブでも分かる!?遺老説伝

『ハブでも分かる!?遺老説伝』とは

『遺老説伝(いろうせつでん)』は1743年から1745年にかけて琉球王国の正史として編纂された『球陽(きゅうよう)』の外巻で、各地の御嶽や行事の由来、珍しい出来事などを首里政府が各地に命令を出して集めたものとされています。

当連載『ハブでも分かる!?遺老説伝』は、"ハブでも分かる" をコンセプトに、原文(漢文)をそのまま読み解くには難解すぎる『遺老説伝』を、沖縄出身の漫画家・吉元あきこが漫画で描き下してみる、という試みです。ただ、本当にハブでも分かるかどうかはハブのみぞ知るので悪しからず。

*当連載の内容はすべて史実というわけではなく、フィクションが大いに含まれていますのでご了承ください。

第65回『黄金の瓜子-3』

前回のお話はこちら

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黄金の瓜子

二人は、その種を持ってかえり、早速、古間口(こまぐち)の地にまきました。
毎日毎周、気を配って種子を育て、やがて、お正月も近づきますと、ようやく穂が出はじめました。
よく見ると、普通皇豊と雲ますので白樽睦Iこれは珍らしいものだ、実ったら是非王艤にさしあげようlと思い、手入れを怠たらずに、熟するのを待っていました。
二月になると、麦は見事に熟したので、吉日をえらんで、王様に献上(けんじよう)いたしますと大層お喜びになって、これをお納(おさ)めになりました。
この麦で、御神酒(おみき)を造らせて、方々の嶽々にお供えをさせ、それがすんでから今度は、それをお城のあらゆる、お役人に下されました。それからは、この土地では、いろいろの農作物が豊かになり、人も一代ごとに繁昌してゆき、遂に賑(にぎ)やかな村となりました。
その地を名づけて久高島といいます。
※続く(2024年3月下旬掲載予定)

『琉球民話集 全巻 球陽外巻遺老説伝口語訳』 P131より
琉球史料研究会編(1963年)

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