- DEEokinawaトップ
- 特集
- 石獅子に魅せられて石獅子作家に!本を出版!そんな夫婦を訪ねる
石獅子に魅せられて石獅子作家に!本を出版!そんな夫婦を訪ねる
石獅子とはなんぞや
石獅子とは昔から沖縄で村を災いから守るために、村落の入り口などに置かれていた獅子型の守り神です。
あれ?それシーサーじゃない?と思った方は半分あたり。
石獅子はシーサー以前から作られていたもので、戦後に民間に広く普及したシーサーのルーツにもなっていると言われています。
そんな石獅子に魅了されすぎた夫婦がいます。
沖縄でもほとんどいない石獅子作家になってしまった夫の若山大地さんと、沖縄中を歩いて森の中に隠れていたものも含めて130体を見つけて本にした奥さんの若山恵里さんです。
夫婦は那覇市の首里城の城下町で「スタジオde-jin」を立ち上げ石獅子の魅力を発信しています。
本日はご夫婦が魅了された石獅子の魅力について聞いてきました。
石を学びに沖縄へ。そして石獅子との出会い
まずはショップの奥にある石獅子作品を作るための大地さんの工房で大地さんに話を伺いました。
- 元々はご夫婦とも沖縄出身ではないんですよね?
そうです。僕は愛知出身で、恵里は滋賀出身です。
僕の母親が沖縄出身で、小さな頃から何度も沖縄に来ていたんです。
小さい頃から愛知で見る景色と沖縄の景色って違うなと思ってて。なんだろうと考えたときに、建築物を見ても木造よりコンクリート住宅が多いなど圧倒的に沖縄は風景の中に石が使われているし、使い方も違う。いつの間にか沖縄の石文化に面白みを感じていました。
その後、芸大の予備校時代に彫刻に触れる機会があり、性に合うなと思って、沖縄芸術大学に進学して彫刻を専攻しました。恵里ともそこで出会ってます。
- 大学時代からおふたりとも石獅子に興味があったんですか?
いえ、石獅子はもっとずっと後で、芸大を卒業後に大学の友人がこんなの知ってる?って那覇市上間の「カウクウカンクウ」を案内してくれて。
それまでも石について勉強して、石を仕事にしてきたのに、こんなものがあるのを知らなくて衝撃的でした。それまでは石で繊細な作品を作っていましたが、無骨で力強い存在に驚いて、それから毎週のように恵里を誘って沖縄の石獅子探しを始めることになります。
石獅子を探す日々
ここからはショップに移って恵里さんも一緒に話を伺っています。
- 石獅子だけでなく沖縄モチーフの作品も
- コンビーフハッシュ!
- 恵里さんも同じように石獅子にハマったのでしょうか?
うーーーん。最初は、子どもが生まれたばかりで出かけるのも大変だし、石獅子探しに夢中になる夫にいやいや付き合っている感じでした。でもだんだん探して見つけることが楽しくなってくるんです。
たしかに、我々も過去2回記事で石獅子を紹介したことがありますが、どちらもタイトルに「冒険」とつけています。
・7つのシーサーを巡る冒険
・与那原にある7つの石獅子をめぐる冒険
石獅子で有名な集落でさえ詳しい案内看板があるわけではないので、若山夫婦がやっていた石獅子探しはもっともっと難航したはずで、その分見つけたときの嬉しさはすごかったのでしょう。
その次に、「なんでこんなところに?」「だれが作ったの?」という文化的なことに興味がでてきました。この時点で石獅子探しをはじめて5年ぐらいたっていて、夫は石獅子を探すことよりも石獅子を作る段階に、わたしはひとりで公民館などに出かけて詳しい人を探して聞いて回るという活動になっていきました。
そんな風にやっていたら「新聞に連載しませんか?」という話がきて2016年から琉球新報副読誌の『かふう』に「石獅子探訪記」連載開始することになります。もともとは連載も1年で終わる予定だったのでバーっといろんな石獅子を訪ねてまわったんですが、1年やってもまだ全体の上澄だけしか捉えられていなくて。それからじっくり深掘りしていくうちに7年の連載になって最近ようやく終了して本になりました。
- 石獅子について研究されている方は多いのでしょうか?
沖縄村落史研究所の長嶺操先生が石獅子研究の第一人者です。
集落を実際に歩いて聞いたところをすごく認めていただけました。
本の帯にも長嶺先生のコメントとして
「何度も現地を訪問し聞き取り調査をかさねてきた奮闘記である。 『石獅子探訪記』の出版で沖縄の石獅子研究は前進した」と書かれています。
- 沖縄には他に石獅子作家さんはいるんですか?
ほぼ面識はないですが、おそらく手彫りではなく機械で作っている方がひとりいます。そんなに量産はされていないと思いますが、長年作られています。
- では集落の石獅子が壊れた場合は若山さんに連絡がきたりもしますか?
いえいえ。基本的には集落の人が直しています。石は砕けたらくっつけられないのでモルタルで直しているようです。
ただ知らないうちにいつの間にかだれかが直しているみたいなちゃんとした修復ではなく。
でも元が名がある文化財というものではないので、どんな直し方でも基本だれもあまり気にしないようです。
モルタルで直すのも手に入って使いやすい素材だからだと思います。石獅子も「石」がその時代に手に入る素材だったから石獅子になったんだと思っていて。今のようにコンクリートがあるならコンクリートで作っていたんじゃないかなぁと。
石獅子と人々の関わり合い
- こうやって若山さんたちが石獅子の魅力を発信していく中で、集落で石獅子の関わりが変わったなんてことはありますか?
うーーん。実際これで変わったということはないと思いますが、石獅子はただ置かれているわけではなく昔もいまも集落で大切にされています。年に何度かまわりの草が刈られていたりとか。
本に書きましたが、石獅子が盗まれてそして帰ってくるということもときどき起こるんですが、盗んだっていう感覚もないのかもしれません。親族が作って置いてあるぐらいの意識。それが沖縄の良さなんですが、家族の単位がわたしたちが思っているのとも違うから。
石獅子がなくなって何年後かに帰ってきても、家主さんも深くは聞かないし、返した人も特になにも言わない。真相はわからない。でも関係が近いから善悪を追求するんじゃなく、それぐらい曖昧なのが沖縄ではいいのかもしれないとも思うんです。
- 石獅子はすごく作り込まれているものから、素材を生かしたものまでありますが、なぜでしょう?
最初の村落獅子といわれている富盛の石彫大獅子は職人が作っているのですが、ほとんどの石獅子が制作者不明の集落の人たちの手によるものです。貧しい時代に作られたものは、生きることがまずは大事なので、石獅子に費やせる時間も少なく手の込んだものが作れなかったのかもしれないなと思っています。
なのでときどき、石獅子を探しに行った先でただの石を石獅子だと思ってずっと眺めていたり、石だと思って通り過ぎたのが石獅子だったり...。そういうのも楽しい時間です。
- 本には那覇市上間の集落には4体あったはずなのに見つかっているのは2体。あとの2体はどこかに埋まっているのかも..みたいなことが書いてありましたが、あるはずなのに見つけられていない石獅子はまだありますか?
ここら辺に埋まっているのではないかという石獅子は何箇所かあります。
またあまりにも身近過ぎて皆さんが石獅子だと気づいていないということもあると思います。
今は建築ラッシュだし道路工事も多いので、戦後の復興に向けての工事や基地を作るために土が多く移動しているので、いきなり見たことが無い石獅子が出てくる可能性は高いです。でも何処の石獅子だったかは分からないかもしれませんね。沖縄の方が長生きしてくれたらしてくれるほど有力な情報が聞けるということかもしれません。
それには本を購入された方や石獅子を見てきた私たちがアンテナを立ててお話を聞いて文字や写真にして残していくことが大事だと思います。
- 最後におふたり今後の目標があれば教えてください
少しでも長く続けて石獅子達と日本中、世界中旅すること!石獅子を通して沖縄ってこんなところだよって知ってもらえたら嬉しいです。
本日はありがとうございました!
まとめ
ということで石獅子に魅せられたご夫婦でした。
大地さんの作る石獅子はかわいいし、恵里さんの本もとても面白いし街歩きにもってこいなのでぜひ読んでみてくださいね。
ちなみにですが、記事途中に大地さんが彫っている写真が何枚か出ていますが、彫っているのは石ではなく黒糖。先日デイリーポータルZに寄稿した「沖縄の石獅子作家さんに黒糖の塊からシーサーを彫ってもらった」の製作過程でした。
黒糖は石よりは彫りやすいけど、手がベタベタするとのことでした。
スタジオde-jin
http://www.de-jin.com/
沖縄県那覇市 首里汀良町1-2 1階
営業時間 10:00~18:00
定休日:日曜日、不定休(来店される際には電話していただけると助かりますとのことです)
098-887-7466