「沖縄ヘリ飛行クラブ」命を懸けた波瀾万丈の挑戦

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「職場の隣にヘリ残骸」そんなキーワードから今回の取材が始まりました。残骸の出どころを調べていくと、ネットにもなんの情報も載っていない「命懸け」の挑戦秘話が眠っていたのでした

建物の屋上にヘリコプターの残骸

今月から新しい職場に赴任していますが、初日にふと窓の外を見下ろすと、職場の隣の建物の屋上にヘリコプターの残骸がありました。


なぜ...

調べてみました

実はこの「ヘリ残骸」に関しては伏線がございまして、数年前にこの「ヘリ残骸」のある建物の隣にある看板が気になっていました。それは「沖縄ヘリ飛行クラブ」という看板で、電話番号も書いてあったんですが電話してもつながらず、2、3回立ち寄りましたがそのときは人の気配もなくそのまま放置していました。
ネットにも「沖縄ヘリ飛行クラブ」の情報は皆無でした。

沖縄ヘリ飛行クラブ

今回、職場の帰りに改めて「沖縄ヘリ飛行クラブ」に立ち寄ってみると中に人がいました。ドアをのぞき「ヘリコプターの件でお尋ねしたいことがある」と申し上げると古謝さんという代表の方が対応してくださいました。古謝さんは具志川出身沖縄市育ちの75歳の男性のかたです。


お話を伺った古謝さん

ヘリコプターの事について伺いましたところ、「今から30年前にアメリカでヘリコプターの免許を取得して機体も購入、石川に個人でヘリポートを設置した」とのことでした。

・ヘリの免許?
・ヘリを購入?
・個人でヘリポート?

素通りできないキーワードがポンポン飛び出します。順を追って、雀卓でお話しを伺いました。

古謝少年の夢

発端は14歳の時石原裕次郎主演の映画「紅の翼」を見た事がきっかけでした。
この映画では主人公石原裕次郎がセスナを飛ばすアクションが見所でしたが、これを見て古謝さんは空への憧れを抱いたのです。
その後の心境変化で「まっすぐ前にしかしか飛べないセスナ」よりも、「空中で静止したりバックや回転ができるヘリコプターの方が活躍できるだろう!考えて夢を「ヘリコプターの操縦」に切り替えたそうです。

そして45歳。会社勤めをしていた古謝さんはある日、本格的に「航空免許の取得」と「機体の購入」に乗り出しました。まずアメリカから「ヘリ操縦学科試験用のテキスト」を入手して1年間かけて勉強しました。内容は航空法、航法、気象学など、専門の科目を英語で勉強されたそうです。そして渡米してまずはヘリ学科試験を受験、結果発表に2週間かかるのですが合格していることを前提としてすぐにヘリコプターの実地個人訓練を開始します。結果的に学科試験は見事にクリア、最大20日間与えられた会社の年休日数を多少オーバーして古謝さんは筆記と実地の両試験をクリア。晴れてヘリコプター免許を取得することに成功しました。
ちなみに免許取得で250万円の費用がかかりましたが、国内だと今でも1,000万円近くかかるそうです。

ちなみにヘリコプターの操縦の1番のポイントは「ホバリング=空中静止」なのだそうです。ホバリングができるまでが分かれ目で、古謝さんはわずか7時間の教習実施訓練で成功して「これで合格メドがついた」と安心されだそうです。

個人でヘリを持つこと

さあ次は機体の購入です。古謝さんは退職金等を利用してロビンソンR22と言う2人乗りの中古機体を約1,000万円で購入されました。


約1,000万円で購入したヘリ

しかし機体だけでは飛ばすことができません。ヘリを個人で飛ばすためには専用の個人ヘリポートを設置しなければならないのです
運輸省に許可を得て辺野古の海岸近くに土地を借り、コンクリートでヘリポート設置、コンテナを2つつないだヘリの格納庫を準備してヘリコプター飛行運用を開始しました。具体的には「沖縄ヘリ飛行クラブ」と言う有志でお金を出し合ってヘリコプターを飛ばして楽しむ団体を設立運営になります。


沖縄ヘリ飛行クラブ

運営費の主な内訳は整備費(必要に応じて名古屋から整備士が出張)、事故に備えての航空保険料など、維持費として年間約500万円が必要でした。
古謝さんはこの運営費をクラブの30人くらいのメンバーから個別に集めて運営する計画でスタートします。

2つの大きな試練

ここまでの過程も充分凄いのですが、古謝さんはさらに2つの大きな試練に立ち向かうことになります。
1つ目はヘリポートの立ち退きです。せっかく運輸省から許可を得て辺野古の住民向け招待飛行などを重ね、自治会でも何度も説明会をひらき、徐々に信用を得られていました。それなのに、結局は役所の方から指導が入り半年後にヘリポートは移転を余儀なくされます。それで改めてうるま市石川のゴルフ場近くにヘリポート移転、そこでヘリ飛行クラブの運営を続けました。

そして2つ目の「とてつもなく強烈な試練」が古謝さんに降りかかりますが、コレが洒落になっていません!
ヘリ購入から2年後に、なんと「ヘリが墜落」したのです!
海岸からおよそ1kmの海上を高度500ft(152m)で飛行中にエンジンが突然停止、水深5,6メートルの海に墜落してしまいます。機体は程なく沈没しますが、幸い古謝さんともう1人の同乗者に怪我はなく、たまたま近くを航行していた漁船に助けられ、九死に一生を得てことなきを得ました。

事故の詳細が運輸省のホームページにありました。あー怖い。

航空事故調査報告書の写真
推定飛行経路図

墜落後も不屈の精神で復活!

普通もしも一度でも「墜落」なんかしたとしたら、もうそこであきらめそうなものじゃないですか。でも古謝さんはあきらめなかったんです。「やっぱり男の趣味、自分のことだからね!」当時を振り返りながら、古謝さんは力強くおっしゃいました。

事故のあと、古謝さんは保険会社から降りた保険を使って新しい機体を購入し運営を再開しました。(さすが高い保険はすごい!)同じ保険で墜落機体も海底から引き上げて現在も屋上に保管されているのが最初に説明した「屋上のヘリ残骸」でした。

 
 
 
 

さらに事業構想としてヘリコプターを使った医療支援を発案、当時の沖縄市長に支援を依頼したりしたそうです。
「沖縄は島国だからね、しかも自衛隊には頼みづらい背景もあります。年間1億円の予算があったとして人一人の命が年間何人か助かれば十分見合うじゃないですか」

結果的に自治体からこのリクエストは受け入れられませんでしたが、現在大活躍しているMESHサポートの活躍ぶりを見るまでもなく、この発想は素晴らしい先見の明だったのです

その後も活動を続けた古謝さんでしたが結局資金難のため「沖縄ヘリ飛行クラブ」の運営は六年で終了。新しい機体は売却され、現在の「沖縄ヘリ飛行クラブ」はヘリコプターライセンス取得のための学科指導支援を受け付けていらっしゃるとのことでした。

以上が「沖縄ヘリ飛行クラブ」の全容でした。
沖縄にはまだまだ凄い人物がひっそり隠れているような気がします。

ゲストライター

カルマだん吉
長崎出身。かつて沖縄県内で営業していた19軒の銭湯に入浴したことが自慢の内科医師。

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