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ナナサンマルを追いかけて
1978年7月30日。沖縄県では本土復帰後も引き続きアメリカ方式の右側通行が行われていたものを、一夜のうちに日本式の左側に通行に切り替えるという一大イベントが行われました。いわゆるナナサンマルと呼ばれている出来事ですね。
当時の資料を見てみると、このナナサンマルのために交通標識の付け替えや、道路工事、ガードレールの設置や付け替え作業などが行われたことが記録されています。切り替え後はやはり混乱がみられて主にバスの事故などが結構あったらしいです。
さて、2022年。ナナサンマルから40年以上が経ち、私たちは普通に左側通行が当たり前になっています。と、いうかアメリカ方式の右側通行というものがまったく想像つかないですよね…。
そんな中、面白い話を聞きました。上の写真は那覇ジュンク堂の向かいにある「みどり立体駐車場」ですが、左側通行から見ると入り口と出口が逆になっているのです。いつもちょっとした違和感を感じていたのですがこれ、ナナサンマル以前からあるのでその名残でこのようなちょっと変わった作りになっているらしいのです。
もう少し詳しく言うと当時は今の入口はなくて出口になっている所が出入り共用、一方通行ではなくまだ自動改札機もなく事務所に鍵を預けてプラスチックの番号札を受け取る方式でしたねー
— たんたんたにいにい (@tantantani_ni) August 2, 2022
スロープはカーブミラーで譲り合うのんびりした時代がありました
立体駐車場になる前は砂利敷の青空駐車場でした https://t.co/MwyQuQRbma
正確に言うと、今の入り口はもともと無くて、今の出口が出入り口になっていたのだそうです(たんたんたにいにいさん情報ありがとうございます!)。
ナナサンマルから40年以上も経ったいま、まだその名残が残っているというのは面白くないですか?というわけで今回はTwitterなどで寄せられたナナサンマルの痕跡を辿ってみようという内容です。
ナナサンマルの名残をさがそう
まずはminaさんから情報を頂いたナナサンマルの痕跡。場所は浦添市の大平インターから浦添市役所側に入った道です。
教えて頂いた現場がこちらです。ちょっと写真では分かりにくいですが、信号機のほぼ真横くらいにHondaの入り口があります。
反対側から見た写真ですが、信号の停止線は赤いラインの場所。ここから右折して店舗に入るにはちょっと距離が遠すぎます。とはいえちょっと前に出るとちょうど脇道からの合流地点になってしまうので、すごく右折しづらい状態になってしまいます。
右車線で考えると確かに違和感がありません。たまにめちゃめちゃ入りにくいところに入り口がある店舗があるんですが、それもナナサンマルの痕跡なんでしょうか。気になります。
続いてはJTCYさん(@jtcy_obzaiya)から頂いた情報
場所は古波蔵交差点から北向けの一方通行のところです。
こちら結構な角度の左に曲がる道があって、そちらも一方通行になっているのですが、
右側通行に当てはめて考えてみると確かにスムーズ…!ということは上の一方通行の道はナナサンマル前からずっとこの方向の一方通行だったということですね。
今もなお、方向が変わらず残っている道(たぶん)。そう考えるとロマンがあります。
最後はホルモン古波津さん(@XqMKzQX2SlkR9Ss)さんから教えて頂いたナナサンマルの名残。
中城村伊集のバス待合所です。こちらは道路に対して斜めに建っているのですが、
進行方向から見ると待合所の様子が全く見えないつくりになっています。今だと不便極まりないですが
車線が左右逆であったことを考えるとピタリとおさまります。なるほど…!
待合所には(たぶん)建立年が彫り込まれていて1967年1月15日と読めます。ナナサンマルよりかなり前に建てられたもののようです。
ナナサンマルの名残はおもしろい
というわけで読者の皆様から寄せられた情報をもとに巡るナナサンマルの痕跡探しでした。右側通行に置き換えて考えてみると確かに!という感じなのですが普段は絶対気づかないよなぁと思います(なんとなく違和感はあるけれど)。
ちなみに「赤信号でも左折可」という標識は沖縄県が最多らしく、ひょっとしたらそのあたりにもナナサンマルの痕跡があるのではないかと思っています(今度調べてみます)。
記事を読んだ方の中で他にもナナサンマルの痕跡をご存じの方がいらっしゃったら、ぜひ編集部にお寄せくださいませ。僕が喜びます。