【緊急特集】ありがとう首里劇場。そしてこれからのこと

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那覇市首里の住宅街にひっそりと佇む沖縄最古の映画館「首里劇場」。先日3代目館長である金城政則さんが急逝され、来月の上映スケジュールが張り出されたまま首里劇場の時間が止まってしまった。今回は過去の取材時の写真を交えつつ「お別れ内覧ツアー」の様子をお伝えしようと思う。

哀悼 金城館長


2011年当時

2022年4月に首里劇場の3代目館長である金城政則さんが急逝されました。
突然の訃報に驚きと動揺を禁じ得ませんが、まずはDEEokinawa一同謹んでご冥福をお祈りいたします。


落成当時の写真と

首里劇場とは首里城のほど近くにある沖縄最古の映画館。
現在の建物としてオープンしたのは1950年9月21日なので約72年前になります。


首里劇場の壁に書かれた「君聞くか新生の声 首里市の劇場」の文字

1950年といえば戦争が終わって5年後。
焼け落ちた首里城跡から城下町を写した写真に、大きく首里劇場が建っているのを見たことがあります。
首里劇場の落成は、文化の再生や希望だったはず。

もともとは沖縄芝居や普通の映画を上映する劇場でしたが、1970年代に成人映画を上映するようになり、最近また成人映画から名画座に転身したことをDEEokinawaでも伝えていました。

70年以上の前の建物を現役の映画館として維持していくのは本当に大変なこと。
それを支えていたのがひとえに亡くなった金城館長の情熱でした。
首里劇場は建物ももちろんですが金城館長の人柄も多くの人を魅了してきました。


2021年当時。写真を撮影する際にはいつも「琉球ハブ拳法」という独自拳法を披露してくれました

金城館長が亡くなったとわたしたちに連絡をくれたのは首里劇場のファンクラブ「首里劇場友の会」の真喜屋力さん。
そして6月5日に関係者向けに「首里劇場友の会」と「首里劇場調査団」主催の「首里劇場お別れ内覧ツアー」が行われ私たちも参加してきました。

DEEokinawaでは過去何度か首里劇場の取材を行ってきました。本日は内覧ツアーで記録した首里劇場の姿、そして過去の首里劇場の写真を交えて記録に留めておこうと思います。

70年の日々の積み重ね

まずは入り口から。

入り口にはまだ手書きの上映スケジュールが張り出されていました。上映スケジュールは7月くらいまですでに決まっていたそうで、今回の事が本当に急なことだったことがうかがえます。

入り口から入ってすぐ左手にある受付。
名画座になって1年で入場料は男女別の値段から一律500円になっていました。
ただ成人映画の最後の日に首里劇場に行った時は、この受付越しではなく近くにいた館長に料金を手渡した気がするので結構前から受付としては使っていなかったのではないかと思われます。

廊下の壁には色々な人が撮った首里劇場の写真がびっしりと貼られています。

この雑多なスペースは受付の裏側。色々な書類が置かれています。

壁に直に記されたメモには、スクリーンのサイズやフィルム上映が終了した日が書かれていました。

書類の中に無造作に営業許可証(右側)が置かれていたのですが、よく見ると署名に「行政主席 屋良朝苗」という名前が…!屋良 朝苗(やら ちょうびょう)とは、1968年に沖縄で初の公選主席に着任し、1972年本土復帰後の初代沖縄県知事だった人物です。これ、実はすごい貴重なものなのではないでしょうか。

そしてこちらがメインの劇場部分。内覧会ではスクリーンに思い出のスライドが投影されました。

首里劇場は2階にも客席があるのですが、1972年の日本復帰の際に法律が変わって2階は使われなくなったそうです。

天井はあちこち雨漏りの跡があり、天井が剥がれかけている部分もあってかなり老朽化が進んでいることが分かります。

レトロな客席椅子。なんでも2代目の館長がやり手で、他の映画館が使わなくなった椅子やスクリーンを譲り受けてそれを使ったりしていたのだそう。

劇場内に木製の円柱があったのですが、これはなんと元・電柱。補強のために使われているのだそうです。

スクリーン裏にも案内してもらいました。

裏にも歴代の補強跡が。もともとは水平垂直で組まれていた戦前沖縄の建築方法に、斜めに補強材を入れるのはアメリカ建築の影響を受けているのだろうということでした。補強からも見える沖縄文化。

米軍テントを利用しているどんちょう。

博物館にあってもおかしくない年代物の広告も首里劇場では壁の補強に使われています。

以前の記事でも紹介しているところも多いのでそちらもぜひご覧ください。

続いては二階の映写室に。

普段は立ち入ることのできない館長の聖域です。

業務用の大型扇風機が置かれており、ただでさえ機械の熱がこもる映写室は夏場は灼熱だったのではないでしょうか。

二階客席はほぼボロボロの状態でした。奥のほうにはトイレがあるのですが、床がかなり腐っているらしく近づけませんでした。一階にあるトイレは使うのにわりと勇気がいる雰囲気なので、二階のトイレはどんな構造になっているのか気になるところです。

二階のテラス席?から見下ろすスクリーン。映画だと見づらいですが、芝居ならこのアングルから観るのも面白そうです。

近年でも映画以外のイベントや公演としても使用されていました。


首里トワイライト物語でみんなで古写真を見たり


舞台も客席も大盛り上がりだった渋さ知らズオーケストラ

 

これからのこと

今回館内をじっくりと見てまわり、改めて首里劇場が積み重ねてきた歴史を感じるとともに、かなり建物の老朽化が進んでいることも否めない事実でした。

首里劇場友の会によると建物の今後についてはまだ正式に決まっていないそうですが、後継者もなくこのまま維持管理するのは不可能なほど老朽化が進んでいるため取り壊しになる可能性が高いのだとか。
その際には貴重な品々は博物館へ移されるのでしょう。
でも故金城館長や、歴代の館長たちが、その時代時代に創意工夫して維持してきた跡から、図らずも沖縄文化が垣間見れる、それがすごく首里劇場のすごさで貴重だなと思うのです。

首里劇場友の会では、沖縄の歴史的にも文化的に貴重な建物である首里劇場を、なんとか記録・保存できないか現在広くアイデアを募っているところだそうです。

もちろん簡単なことではないですが、県内はもとより県外、海外からも首里劇場に心を寄せるたくさんの声や思いが集まることで、なにかしらできることがあるのではないかと思います。
なにか思いついたことがありましたら、ぜひ「首里劇場友の会」までご連絡を。

 

ありがとう金城館長

金城館長の部屋にぽつんと置かれていた沖縄DEE級読本(見開きページの写真を首里劇場で撮らせてもらいました)。
こんなん泣いちゃうじゃないか。

金城館長、長い間本当にお疲れさまでした。たくさんの思い出をありがとうございました。

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