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さようなら、牧志公設市場衣料部・雑貨部
「牧志公設市場」といえば、大半の方は現在建て替え中のあの第一牧志公設市場のことを思い浮かべるのではないかと思います。
しかし牧志公設市場は衣料部、雑貨部というものがあるのです。衣料部は主に呉服や着物の小売専門店が、雑貨部には化粧品や婦人服などのお店が集まってできていました。
その歴史は古く、公設市場衣料部・雑貨部が開設されたのは1951年。第一牧志公設市場と同じ年です。当時はテント張りだったという市場は1963年に瓦屋根に。1982年には現在の建物が完成して今の形になったのだそうです。
そんな70年以上の歴史を誇る公設市場衣料部・雑貨部でしたが今年2月で営業を終えることになりました。なんでも建物は那覇市の所有なのですが、土地は民間から借用しているそうで2021年度末で借地契約が満了することに伴って、ということらしいです。
というわけで、2月28日、公設市場衣料部・雑貨部を見てきましたので、その様子をお届けしたいと思います。
閉場前の公設市場衣料部・雑貨部
まずは公設市場雑貨部から。すでにシャッターが下りていてひっそりとしています。
71年間ありがとうございましたという閉場を知らせる横断幕も掲げられていました。
雑貨部では1000円からできるエステが存在してDEEでも記事でも取り上げたことがあります(平和通りでおばーにも人気なエステを体験してみよう!)。また、「おちない口紅」なる商品が販売されていたりとちょっとした怪しさもありました。
雑貨部の裏手はパラソルと椅子が設置された通称「パラソル通り」と呼ばれる通りだったのですが、こちらも2月14日からいすの使用が禁止に。3月末で撤去予定だそうです。
こちらの土地も民間から那覇市が借りているためということなのですが、ここで飲酒をする人がいるため、という理由もあったそうです。
あのなんとも言えない配色パラソルはもう二度と見られないのだな…と思うと寂しくなります。
続いては公設市場衣料部。こちらにも閉場を告げる横断幕が。
最終日ということもあって、車で朝から荷物を搬送する様子も見られました。
店舗は小間(コマ)という単位で区切られていたのですが、2月28日では2店舗くらいしか残っておらずがらんとしています。現在は1階だけになっていますが最盛期は2階もあって100小間くらいの売り場が並んでいたそうです。
売り場の一角はブルーシートで区切られて立ち入り禁止に。荷物置き場でしょうか?
残った張り紙などにも味がありますね。
みたことない何か。スピーカーでしょうか?
2階に続くエスカレーターは現在使われていません。かつてはお笑いライブや歌を楽しめるひやみかちマチグヮー館という施設が入っていたのですが、2018年で終了しています。
階段からは2階に上がることができます(トイレの利用ができる)。
階段途中にはショーウィンドウ的なスペースも設けられていました。
トイレの添え書きがものすごい達筆でした。
最後まで営業している店舗の方にもお話を聞きたかったのですが、人だかりができており話はうかがえず。ただみんな口々に「寂しくなる」「おつかれさまでした」と閉場を惜しむ言葉やねぎらいの言葉をかけていました。
牧志公設市場衣料部・雑貨部の閉場に伴い、10店舗程度は別の場所に移転して営業。牧志公設市場衣料部・雑貨部の建物は那覇市が民間に有償譲渡をするそうです。時代の流れと言ってしまえばそれまでなのですが、いつもそこにあったはずのものが無くなってしまうのはやはり寂しいものがあります。
71年間、人々の生活を支えてきた牧志公設市場衣料部・雑貨部の最後の姿をここに留めておこうと思います。