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産院池原 出産5分の謎
DEE初仕事です。いろんな意味で緊張しております。私がよく通る道沿いに、数年前からある店舗。看板には「産院池原」の文字。イージーな看板+コンクリ平屋建ての店構えは工務店か葬儀屋さんの店舗の雰囲気です。しかし看板には
「特許分娩台を使用 5分以内のご出産を!」
「特許分娩装置の威力」
「安産は瞬時(5分程度)で、出来ます」
「短時間 日帰り 確実に出来ます。」
「9分以内に御出産不可能の場合は出産費無料です」
「5分で出産!陣痛5分。」
本当にこんなところで出産なんかできるのでしょうか?興味を抑えきれない私は約一年ごとに数回にわたってここを訪問して「産院」の実態を調査して参りましたのでご報告いたします。
心の許容力を最大限に広げて、なるべく笑顔で解釈してみてくださいね。
店舗の様子について
最初の訪問は2013年の夏頃でした。意を決して訪問してみました。
元理容店だった物件とのこと。鏡と洗面台のユニットが残ったままの室内は・・・撮影できなかったので口頭で説明します。
奥の一角が分娩スペースの四畳半の上がり間と分娩台。その奥がバストイレ入り口
入り口に受付のテーブル。かつての理容イスがあったスペースに、折りたたまれて二つ重ねられた分娩台が2つ並べられていました。
店舗の中にはオーナーの60代後半初老の男性が一人いらっしゃいました。身なりや所作物腰が穏やかで誠実な印象の方で、質問には気さくに応じてくださいました。もともとほかの仕事をされていて医療関係に従事したことは一度もないとのことでした。
特許分娩台とは?
分娩台は「ぶら下がり健康器を斜めに傾けたようなもの」で、「手動で上下にがっちゃんがっちゃん揺さぶることで物理的に分娩を促進する」というもの。デモンストレーションで、分娩台に固定された直径20センチくらいの「産道」に見立てた塩ビパイプに詰め込まれたバスタオルの塊(胎児)が徐々に出てくる様子を見せていただきました。残念ながらがっちゃんがっちゃん動画は撮影できず!
ご主人曰く「高校の物理がわかれば理解できることでしょう。分娩台の特許は出願で受理されたので特許は成立していると考えている。(特許書類についての存在ははっきりしませんでした)鉄工所に分娩台の制作を依頼し、これまでに12台発注している。」…店舗には分娩台が6台在庫。1台あたり制作費は数十万円とのことでした。
ちなみに1963年アメリカで特許申請された「高速回転式分娩促進機」というものもネット上にありました。固定した妊婦をソユーズ飛行士の訓練並みにベッドごとぶん回して分娩を図るもの。飛び出した赤ちゃんがそのまま衛星軌道に乗っちゃいそうな勢いですね。そして「科学忍者隊ガッチャマン」ではコンドルのジョーの頭部に埋もれた金属片を取り出すために南部博士が、やっぱりジョーを体丸ごとぶん回してましたね。子供心に「博士それは無理…」とても不安でした。
開業の経緯
なぜ「産院」を開業することになったのでしょう?お聞きしてみました。
「母や妻の出産をみて以来、どうにかもっと楽にお産をさせたい」という思いから十数年前に特許分娩台のアイディアを思ついたとのこと。仕事を退職して数年後からこの産院を開業されました。ご主人曰く「問い合わせは頻繁にある」そうです。これまでに実際の出産にたちあったり、介助した経験は一度もないそうです。しかし安全な出産に関しては『自信はあります』と胸を張っておっしゃっておられました。
2014年末に2回目の訪問
2013年の秋の産業祭りには分娩台を出店し好評を得たとのことでした。
これはなんとネット上に動画があります!それにしても、周囲はいったいどんな空気だったんでしょうか?あまり想像したくありません。
2015年3回目の訪問
久しぶりに訪れてみると、店名が「産院753」に!
助産院池原→産院池原→産院753…なんか「料亭那覇」みたいですね。
相変わらず出産の依頼はないとのことでした。今回は店名の変更についてうかがいました。
そもそも、最初は「助産院池原」でスタートしたそうですが、さっそく行政・警察からの警告や指導が入ったんだそうです。すなわち「助産師がいないのに助産院と名乗るのは違反」といわれたことでまず最初に「助産院→産院」にあらためたそうです。
そして今年になってフランチャイズ展開を検討し始めました。その場合、店名が「池原」という地名では齟齬が生ずることを懸念して「産院753」に最近再度変更したそうです。
ちなみに「753」の由来は
出産は5分、陣痛も5分。
御出産料金は3万円」
の753なのだそうです。
……わかりにくいですね。整理するとこうなります。
かえってモヤモヤしてきましたか?大丈夫ですよ。私も同じ気持ちです。
行政/警察の対応
行政や警察の方にも問い合わせしてみました。まず中部福祉保健所 地域保健班室長Mさんに電話で問い合わせましたところ、
そして沖縄警察署生活安全科には・・・怒られそうだったので取材は自粛いたしました。
そして三年の時を経て2018年の現在。
今年になって店舗は看板が消され、入り口は閉じられたままの状態が続いています。このまま営業は終わってしまうのでしょうか?私はできる限り見守っていくつもりです……
ゲストライター
- カルマだん吉
- 長崎出身。かつて沖縄県内で営業していた19軒の銭湯に入浴したことが自慢。