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12年ぶりに八重瀬町の当銘・小城で行われた龕甲祭
龕を見てみたい
みなさんは龕甲(がんごう)祭という行事をご存知でしょうか?
そもそも龕甲祭の龕ですが、箱の下に2本の棒がついていて前後4名(8名の場合もある)で担ぐ神輿のような葬具で、お葬式の時に故人を家からお墓まで運ぶときに用いられていました。
この風習は火葬が一般的になる戦後までは沖縄の各地で見られたようです。
龕は各集落の龕屋(がんやー)で保管され、多くの集落で毎年旧暦8月10日頃にお供え物を捧げ、また年忌のときには龕を解体して修理を行った後、盛大に龕甲(がんごう)祭を行い、道ジュネーをして集落内を練り歩いたそう。
戦争などで龕が残っているところは今ではほとんどありませんが、八重瀬町の当銘・小城では1833年に作られた両字の共有龕が今でも龕屋で保管され、7年、13年、25年、33年忌に合わせて龕甲祭が行われています。
2017年は25年忌で前回から12年ぶりの龕甲祭。お昼過ぎから両集落で旗頭を先頭に道ジュネーをし、棒術などを披露するそうです。
いつもは龕屋で保管されていて見ることができない龕をこの目で見るチャンス!と息を荒くして行ってきました。
いつも静かな集落が大ごとになってた
とういうことで、まずは八重瀬町の小城に。
1833年に製作された龕なので184周年祭なんですね。すごい。
馬場の前では龕甲祭のあとの豊年祭で、棒術や舞台演舞がおこなわれるそう。
龕が保管されている当銘・小城の共有龕屋に行ってみることに。
まだ距離がありますが、銅鑼の音が遠くから聞こえてきます。
音をたよりに道を進むと、人!人!人!人!
龕屋の下の道路で、当銘・小城の両方が一堂に集まって、銅鑼や太鼓を打ち鳴らしてそれぞれに棒術を披露していました。
まじで何があったの!というほど人だらけで驚きました。
龕屋の前にも人だかり。
12年前の2005年に披露されている龕の写真もありますね(左下)。
龕の説明もあります。内容が気になる人は目を凝らして読んでください。
道ジュネー開始
そうこうしているうちに、龕屋の前で棒術がはじまりました。
そして旗頭を先頭に、当銘・小城に別れて道ジュネー。
ちなみにこの場所は、以前『沖縄の万里の長城を往く』で紹介したウマチーロード内。
わたしは小城側に行きましたが、当銘は反対側の階段を登って当銘集落に行くようです。
まだ道ジュネーがはじまって3分ぐらいですが、いや、なんというか、もうめちゃくちゃに暑い。この時点で暑すぎてダウンするかと思いました。
着物とか大変だろうなと思いました。
しかし、龕はどこに?
旗頭のみなさんは決められたお宅や拝所を周って行くようです。
もっと前にいる拝み隊の方たちは、旗頭が来る前に重箱やお酒を持って拝所をまわっているよう。
うーん、しかし探せど、目立つはずの龕がどこにもないのです。
手を合わせ終わったおじさんに「龕はどのタイミングで来るんですか?」と聞いてみたところ、思ってもない答えが返ってきました。
「今年は龕の道ジュネーはないよ」
えええええ!!!
「龕は朝の8時すぎに一度龕屋から出して、拭き掃除をして戻したんだよ」
ぴええぇぇ!
おじさん曰く、前回の2005年は龕屋の改築と龕の修復を行ったために、お披露目として両集落をまわったそう。
大切なものなので、龕甲祭であっても集落をまわることは普通はないんだとか。
ところどころで棒術を行いながら、道ジュネーは馬場に戻ります。
そしてそのあとは、馬場の前で棒術や舞台演舞が夜まで行われるそう。
当銘にも行ってみました
万里の道を反対側に抜けて当銘に向かった道ジュネー。
道ジュネーはすでに終わって、公民館の前で豊年祭に向けて盛り上がっていました。
炎天下の道ジュネーを見るだけで私はヘトヘトでしたが、これから舞台演舞が24。
すごい。祭りってすごいな。
ちなみに、次の年忌祭は8年後の33年忌ですが、旧暦の8月10日の朝に毎年龕の拭き掃除をして拝んでいるのでその時でも見られるそうです。
(2017年10月23日:追記)
読者の方から朝に撮影した写真をおおくりいただきました。
きれいですね。
神谷さま、ありがとうございました。