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明日で閉店。ありがとう、さようなら屋富祖の宮城商店
今週始めに浦添市の屋富祖に家族経営のコンビニ「コンビニヤフソ」 ができたという話題をお送りしたところですが、同じく屋富祖に創業62年、そして24時間営業で家族で商店をされていたお店があります。
屋富祖の元祖コンビニとも言えるその商店の名前は「宮城商店」。
そんな宮城商店が2017年9月30日をもって閉店することになりました。
本日は閉店の数日前の宮城商店のようすをお届けします。
宮城商店さんへ
こちらが宮城商店。建物の左側の赤と黄色の看板は隣の山羊料理玉屋さん。
真ん中は宮城商店が経営している沖縄そば屋さん。
そして自動販売機から右側が宮城商店さんです。
60年間屋富祖通りで営業してまいりましたが、今月をもちまして宮城商店を閉店いたします。
店主のおばさんに話を伺いました
こちらが長年お店を切り盛りしていた宮城商店のおばさん。
閉店についてお話を伺いました。
- お店閉められるんですね
そうなんですよ。ずっとやっていたんだけどね。たくさん頑張ったから。
- 何年やられていたんですか?
実際は62年です。
ずっと親子3人でやっていたんですが、7年前に夫が亡くなってからは息子と2人でやっていました。
ここのお店を開くときには、ほとんどこの通りはお店はなくて。
道を馬が車を引っ張って水を撒く時代だったから。
当時はうちらもまだ若いし、車もそんなに通ってないから、お店の前でボールを出してバレーボールなんかして遊んでいたよ。のんびりした時代ではありましたよ。
そうそう、まだ近くには防空壕もあったんだよ。今はお店になっているけどね。
そう考えたら、相当長い間ここにいたんだねぇ。
- 寂しいというお客さんも多いのではないですか?
ありがたいことに、いろんな方が来てくれていますよ。
こんなお店だからこそ、味わいがあっていいでしょう。
会話もあるし。
便利なお店はそういう会話がないでしょう。流れ作業になってしまう。
だけど会話が欲しいという人もいて、隣近所の人たちがやってきて、この材料はどうやって使えば美味しいかな?とか、料理の作り方を教えあったり。
とても楽しかったですよ。
お店を24時間営業にした理由
- なぜ24時間営業をしようと思ったのですか?
病気の子供がいたんです。いま62歳になっているんですけど。
その子はこのお店をやり始めてから産まれて。
おうちは狭いし、お金がない時代だったから、お店でずっと一緒にいたんですけど、子供が小さい頃はすごく苦労もしましたね。
その子が18歳になったときに、内地の施設に預かってもらうことになって。
お世話がなくなったでしょう。でも私たちの代わりに人にお世話になるということだから、私たちはあの子のために一生懸命働かないとと思ったの。
子供を預かってもらうことで、やっぱり自分が身軽になったのはそうだけど、だからと言って油断してはいけない。
人にできるだけのことはやろうと思って。
- それからずっと24時間営業だったんですか?
最初は24時間ではなくて、少しづつ少しづつ延ばしていったの。1時間、1時間と。
今みたいに自動のシャッターがあるわけではなくて、昔はガタガタの戸で。
それを開けたり閉めたりするよりは、ずっと開けておいた方がいいかな、と。
それにそうでもしないと、自分たちみたいな小さなお店が太刀打ちできないし。だからどうにかして変わったことをしないと、という気持ちだったんですよ。
店内。決して広くはないけれど青果から日用品、食品、お酒、惣菜まで所狭しと商品が並ぶ
宮城商店といえば美味しいお惣菜
- お惣菜はおばさんが作っているんですか?
ううん。うちの息子が。
上手でね。味付けがいいんだろうね。勉強したわけでも、料理の学校を出たわけでもないんだけど。
自己流でやって。
みんなに合う味だったんでしょうね。こんなに親しまれてありがたいね。
息子さんが作るお惣菜
- 人気の惣菜はなんですか?
特にジューシーが人気で、みんな買って行きましたよ。
そして、コロッケなんかもよく出ますね。
ちょっと甘い味がしてね、お客さんの好みみたいよ(笑)
1日2回作って、そして後ろに油鍋があるから、ないなと思ったら補充しながらね。
左上がコロッケ、左下に一番人気のジューシー
閉店を決めたタイミング
- お店は息子さんと2人だけでやられているんでしたよね?
そうですね。私がお昼で息子が夜で。
2人でお店をやっているとね、私の方がもう体力が年とともになくなってしまってね。
足が痛い、腰が痛いと言い始めてしまって。
そしたら息子が。優しい息子でね。
「母ちゃん、この年まで仕事をさせてしまって本当にすまないね」って。
でも揚げ物をしながら、お客さんが来たらレジもしないといけないでしょう。それを息子1人でやると待ち時間が出てしまってお客さんに失礼になってしまう。
だから「母ちゃんができなくなったらこのお店は終わりにしようね」って言われてたから。
- お店を閉める日はどうやって決まったのですか?
ずっと車持っていたのよ。毎日私がこうして(MTのギアを入れる仕草)農連市場に買い物に行っていた。
でも今月の最初で車検が切れて、息子が「母ちゃん、車検を更新してまで車を運転する必要ないよ」って。私はあの車しか運転できないから(慣れてないから)ね。
「母ちゃん、もうやめようか」って。「その代わり、母ちゃんは足腰鍛えて長生きしてよ」って。
- 区切りのタイミングだったんですね
そうだね。はっきり閉める日が決まったのは2ヶ月ぐらい前かな。
その前までいつ閉めようかという話はあったけど、でもお客さんからはやめないで!やめないで!って言われるし。ふふふ。
「これからどこで買えばいいの?」って(笑)
- お店を閉めてこれから何がしたいというのはありますか?
そうね、とにかく足を鍛えないと。
今はあんまり遠くまでは歩けないから。休憩しながらだったら歩けるんだけどね。
今の体力があるうちに足を鍛えないとと思って。
運動不足になっているから。お店の中を行ったり来たりするだけでは、運動にはならないらしいのよ。
筋肉をつけないといけない。
だからこれからは足を鍛えるために歩こうと思ってるよ。
ジューシーとコロッケとササミチーズとゆで卵を購入
350円でした。安い!
ありがとうございました
そんな話を伺っている間にも、お店には多くの人が来て会計のときに
「さみしくなるよ」
「お母さん、長生きしてよ!」
「長い間、ありがとうね」
そんな声が絶えませんでした。
おばさんはまだまだ体力があるうちに歩いて筋肉をつけて、「今までできなかったことを、今からやっていこうと思っているよ!」と明るくおっしゃっていました。
62年間、本当におつかれさまでした。そして美味しいお惣菜をありがとうございました。
お知らせの隅におばさんからの追文
書いてある内容ではなく、思いが溢れたんだろうなと思うと、ここにおばさんの人柄が見える
宮城商店の閉店は明日9月30日の夕方だそうです。
今夜が最後の真夜中商店、そして明日が最後の日です。