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日本最南端の清酒酒造所「泰石酒造」
日本最南端の清酒酒造所「泰石酒造」とは?
清酒造りが有名な地域といえば、米どころの新潟や福島、水の美味しい京都や広島、福岡などを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
そんな中、ここ沖縄にも「黎明(れいめい)」という名前の清酒を作る、日本最南端の清酒酒造所があるのです。
1952年、うるま市具志川で創業した「泰石酒造」。現社長の父にあたる先代の社長が、実業家だった叔父と一緒に資金を集め、焼酎を造り始めました。その後、泡盛、ウイスキー、リキュールなどの製造免許を取得。清酒造りを開始したのは、少し遅れて1968年からだったそうです。長崎県の黎明酒造(現・株式会社杵の川)との技術提携を結んでいました。
100年を超える老舗の酒造所もあるなか、戦後に創業した新しい酒造所。だからこそ、焼酎や泡盛だけにこだわらず、時代のニーズにあわせたお酒造りに挑戦し続けて来ました。
清酒工場を見学!
3月中旬、冬の仕込みがひと段落したばかりの忙しい時期でしたが、安田社長に工場内を案内してもらえることになりました。
それだけでなく、創業当時の貴重な写真も見せていただけることに!その画像も贅沢に織り交ぜ、当時と現在を見比べながらレポートをお届けしたいと思います。
こちらが現在も清酒造りを行っている工場です。1,000ドルほどで一軒家が建てられた時代に、なんと30,000ドルかけて作られたんだそう。「ドル」の言葉に違和感を覚えますが、よく考えると当時はまだ日本復帰前なんですね!写真からもその立派さが伝わって来ます。
まずは、2階部分を案内してもらいます。
入口の張り紙「煙ではありません!蒸気です!」の文言が目を引きますね。近隣住民に心配されちゃうのかな。そっちの方が気になってしまいました(笑)
2階の内部は3つのスペースに分かれていて、ここで清酒造りのほとんどを行います。
一番広いこの部分では、最初の工程、洗米と蒸し米が行われます。
ここは「麹室(こうじむろ)」。右の写真のように米こうじ造りを行う場所です。
奥のこちらの部屋では、後半のしぼりを行います。
清酒造りは、大まかに言うと次のような手順になっています。
洗米 → 蒸し米 → 米こうじ造り → 仕込み → しぼり → 火入れ → 瓶詰め
焼酎や泡盛と大きく違う点が「仕込み」の工程。泡盛は1回、焼酎は2回なのに対し、泰石酒造の清酒造りは「高温投下元四段仕込み」と呼ばれ、4段階に分けて行います。酒母仕込みからスタートして、初添(はつぞえ)、仲添(なかぞえ)、留添(とめぞえ)と続き、その時その時で麹を作っていくのだそうです。清酒は腐れやすいので、酵母菌を徐々に繁殖させることが必要なんですね。
また、温度をうんと下げた状態で仕込みます。そうすると酵母菌が身を守るために香りの成分を出し、香り高いお酒に仕上がります。逆に高めの温度で発酵させると、酵母菌の活動が活発になり急激にエサ(糖)を食べ尽くすので、焼酎のような超辛口になるんだそうです。
工場の1階は、5,000Lタンクが並びます。このタンクに2階からホースで初添、仲添、留添の2回目以降の仕込みを流し込んでいきます。
四段階仕込みが終わった後は2週間、タンクの中で攪拌しながら(まぜながら)発酵を促します。アルコールは1日約1度できあがっていきますが、約18度に上昇するまで待ち・・・
発酵が済むとしぼりの工程です。1階のタンクから今度はポンプで2階に移動。
大手清酒メーカーでは現在、濾過器を使ってしぼることが多いそう。しかし泰石酒造では、バスタブほどの大きさのタンクに板を敷き詰め、酒袋を使ってしぼる「槽(ふな)搾り」と呼ばれる手法で行います。昔ながらの造りを続けているのだそうです。
しぼりの工程が終わると、発酵を止めるために熱を加えます。あとは瓶に詰めてラベルを張り、お店に並ぶのを待つのみです。
ちなみに、ラベルは一本一本手作業で貼付け。720mlや一升瓶のほかに、こんなかわいいミニサイズボトルもあるんですよ♪
蒸して仕込んでアルコールを生み出してしぼって、約1ヶ月くらいかけて丁寧に作られるのが清酒「黎明」なのです。
泰石酒造に眠る産業遺産を見学させてもらった
泰石酒造さんにはもう一つ、代表的な銘柄があります。甲乙混和の泡盛「はんたばる」です。
「はんたばる」の紹介をする前に、泡盛と焼酎の関係について少し話をさせてください。
泡盛は酒税法上、焼酎になります。焼酎は、蒸留の仕方から大きく2つに分けられます。
(1)焼酎乙類(本格焼酎):蒸留を基本的に1回のみ行う(単式蒸留と呼ぶ)。
原料独特の風味や香りを色濃く残し、自然の旨さをそのまま堪能できる日本伝統の焼酎。
(2)焼酎甲類(新式焼酎):糖蜜などを原料とする粗流アルコールを連続式蒸留機で蒸留。
無色透明でピュアなクセのない味わいが特徴のお酒になります。学生時代の飲み会には欠かせない「JINRO」や、酎ハイの素として人気の「キンミヤ」などがそれですね。
前置きが長くなりましたが、泰石酒造の「はんたばる」は、焼酎甲類と泡盛(焼酎乙類)をミックスしたお酒・混和酒です。泡盛の風味は残しつつも、独特の香りを抑えソフトな香りとまろやかな口当たりが特徴的です。
現在、「はんたばる」に使われる焼酎甲類は県外から輸入されていますが、かつては自分たちで製造していました。つまり、泰石酒造さんには連続式蒸留器があったのです。いえ、正確に言うのなら、泰石酒造の歴史は、連続式蒸留器を購入し焼酎甲類を造り始めたところからスタートしています。
1976年に動きを止めた連続式蒸留器。現在の事務所の裏に建つコンクリートの細長い建物の中に、実は今でもひっそりと眠っています。建設当時の建物の姿は、右の写真に残っていました。最初に3階建て、その後に上に2階増築して、蒸留器をプラスしたと伝えられています。
熱心に(しつこく?)質問していたことが功を奏したのでしょうか。なんと!連続式蒸留器の様子も少しだけ見せてもらえることになりました!
いまや沖縄県内にひとつしか残っていない、歴史的な産業遺産を間近で見られるなんてうれしすぎる!!期待が高まります!!
興奮しすぎて写真がブレてしまってすいません。ドキドキしながら裏の建物に続くドアを開けてみると・・・
そこには、本土復帰の年から時間が止まってしまった、連続式蒸留器の姿。どんな手順で機械を動かしていたのかハッキリしませんが、左の写真に写っている長い柱状のものが連続式蒸留器です。視線を頭上に移してみると、右の写真のような光景が広がります。
「連続式蒸留は1回動かすと、1週間ぶっ通しで動かしてたらしいんですね。いったん止めると効率が悪いんです。その当時は60名くらい社員がいたんですが、3交代でずっと蒸留していたそうです。月曜から土曜まで稼働して、日曜日だけ止めるって言ってましたね。私はそのときまだ小さい子どもだったんですけど、機械の動く音などを覚えています。」(泰石酒造・安田社長談)
さとうきびの栽培が盛んだった具志川村。黒糖を作った後、副産物として出てしまう使い道のない糖蜜がたくさん残っていたのだそう。そこに目をつけ、連続式蒸留焼酎を作ることにした先代・社長はまさにチャレンジャーですよね!戦後のアメリカ統治の時代に、日本国内から機械を輸入したことも、60名もの従業員を雇ったことも当時としては大変なことだったにちがいありません。
そんな歴史を今に伝える、大切な産業遺産なのでした。
まとめ
うるま市具志川にある「泰石酒造」さんを訪ねてみました。
日本最南端の清酒酒造所としてお酒ファンから愛される酒造所。話を伺ってみると、戦後の大変な時期に、地元の産業を作るために奮闘したという壮絶な歴史を垣間みることができました。今に受け継がれる歴史や想いを感じながら、味わいたいお酒ですね。
安田社長、ありがとうございました!