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100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その3)
100年以上前の写真集、あります
かなり昔の話になりますが、沖縄公文書館に収蔵されている100年以上前(明治34年2月28日)の写真集「旅の家土産(たびのいえつと)」に掲載されている場所は今どうなっているのか、という特集をやりました。
100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その1)
100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その2)
最後の記事を書いてから3年くらい経っちゃったのですが、このまえアンケートでもコメントを頂いてまして、残りの写真の紹介とその場所が現在どうなっているのか探してみたいと思います。
崇元寺
まずは崇元寺。臨済宗の寺院で歴代の国王を祀る国廟だったらしいです。崇元寺が100年経った今、どうなっているかというと…。
健在です。写真と同じアングルで撮りましたが変わらぬ佇まい。
- 石門を裏から。
- 建物があったであろう場所
とはいえ、建物は沖縄戦により焼失。現在は公園として整備されているようです。
首里の町
続いては2点。
「土人の市場」「士族街」です。士族街ということは首里でしょうか。
とりあえず士族街を頼りに首里にやってきました。「土人の市場」に至っては手がかりになりそうなものは何もなく、首里であるという確証が無いのですが、この「旅の家土産」の特長として那覇の港まわりから始まって、波之上あたり、そして首里と移動した順に写真が並べられているっぽいのです。というわけで「土人の市場」の手がかりを探します。
まぁ見つからないよなぁ。と思ったんですが、「首里市跡(シュリマチアト)」という場所を見つけました。ここは琉球王朝から明治にかけて首里に市場があった跡だそうで現在の池端あたりです。
- 1901年
- 現在
写真を撮ってみましたが、合ってるのか合ってないのか当時の面影は全くないので不明です。「士族街」にあたる場所も探してみたんですが、こちらは全く手がかりが見つからず。
中山門・守礼門
続いては下の鳥居・上の鳥居という写真が掲載されています。
どっちも同じ写真に見えますが、首里城から続く道には守礼門の他に中山門という門があったのだそうで、守礼門を「上の鳥居」、中山門を「下の鳥居」と呼び分けていたそうです。
こんな感じだったらしい
中山門跡にはきちんと説明板が置いてあり、それによれば中山門は1908年に老朽化のため撤去されたのだそうです。それでは写真を意識しつつ現在の風景と比べてみましょう。
- 1901年
- 現在
なんとなく面影があるようなないような…。
続いては守礼門。これは誰もが知っている場所ですね。実際の守礼門は沖縄戦で破壊されたので、1958年に復元されています。では現代と比べてみましょう。
- 1901年
- 現在
復元前と復元後の門ですが、ぱっと見寸分違わぬように見えます。復元技術すごい。
首里城
続いては首里城関連の写真が続きます。
まずは「首里城正面」。この写真も首里城に行ったことがある人ならばピンとくるのではないでしょうか。首里城に入る第一の門「歓会門」です。沖縄戦で消失しましたが、1974年に復元されています。
- 1901年
- 現在
これも、守礼門と同じで当時のものと復元されたものなんで厳密に言えば別物なのですがほぼほぼ同じに見えます。100年以上も前の風景と全く同じ場所が存在するというのは不思議な気持ちになりますね。
続いては「龍潭池を隔てて舊城を望む」。首里城前に広がる龍潭池と遠くの方に首里城が見えます。龍潭池は尚巴志が冊封使を接待するために造らせた人工池で、かつては魚が多くいたことから「イユグムイ」とも呼ばれていたそうです。
- 1901年
- 現在
首里城が見える角度から写真を撮るとこんな感じ。こうしてみると今は少し琉潭池が広がっているようです。
首里城の最後は「首里城見物所」。なぜかこの写真だけ縦版が横に入ってます。これは多分首里城内のどこかだと思うのですが、場所が分からなかったのと首里城内の撮影に許可が必要なので対応する写真が撮れませんでした。
写真の説明には「月花のおりおりに中夫君、王子、王女などを集えて侍女が蛇皮線、胡琴合奏に清遊ありし物見どころの名残」と書かれているので100年前にすでに場所は無くなっていたのかもしれません。
識名園
さて、いよいよ「旅の家土産」の写真も最後になりました。
最後は首里城から離れて、那覇市識名にある識名園の様子です。識名園は国王一家の保養や外国使臣の接待に利用された別邸で、こちらもご多分に漏れず沖縄戦で破壊。1975~1996年の長い歳月をかけて復元が行われたそうです。
こちらが現在の識名園。なんとなく沖縄に住んでいると行くことがあまりない気がするのですが、落ち着いた雰囲気の庭園です。行ったことの無い方はぜひ一度足を運んでみて下さい。
さて、写真の場所を探すのですが、こんなに目立つ灯籠と建物が写っているのにイマイチ場所が分かりません。灯籠の奥には橋っぽいものが写ってるのですが…。
と思ったら、同じ写真が展示されてました。キャプションには「明治時代の写真から。この石灯籠は大橋の近くに置かれていた。昭和になって撮影された写真には御殿東側の築山に置かれている」との文字が。ということは灯籠の奥に見える橋は大橋というやつということで…
- 1901年
- 現在
こんな感じでしょうか…?首里城まわりがかなり正確に復元されてたので、本当にこれであってるのか不安ですが、なんとなく雰囲気だけ感じで頂ければ幸いです。
変わっていくもの、変わらないもの
というわけで、本日は「100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか」の残りの写真をご紹介しました。3回に分けてお届けしたわけなのですが、感じたことは割と首里城まわりの復元がそのままだったことと、那覇市は歴史的なスポットに割ときちんと説明書きが設置されているということです。
全く痕跡が分からない場所、当時そのままに復元された場所など「旅の家土産」に掲載されている写真の現在はさまざまですが、なかなか写真の場所を探して歩く、というのは楽しかったです。「旅の家土産」は沖縄公文書館で閲覧可能ですので、興味を持たれた方がいらっしゃったら複写の上、是非街歩きをしてみてください。何か新しい発見があるかもしれません。