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今さら沖縄に残る東京オリンピックを探して
いやあ。始まりましたねリオ・オリンピック。連日日本選手の活躍がテレビ報道されるなど盛り上がりを見せるとともに2020年の東京オリンピックでは空手が追加されることが正式決定したそうです。「空手発祥の地」を謳う沖縄としてはこれまた嬉しいニュースですよね。
そんなオリンピックの盛り上がりにあやかって、本日は1964年に開催された東京オリンピックの話をしたいと思います。
撮影日時:1964年9月8日 / 所有者:沖縄県公文書館
オリンピック東京大会聖火リレー
配信元:那覇まちのたね通信
事業主体:NPO法人ちゅらしまフォトミュージアム・地域情報エージェント株式会社
東京オリンピックが開催された1964年の沖縄はまだ米軍統治下。それでも日本の一員として東京オリンピックの感動を分かち合いたいということで沖縄でも聖火リレーが実施されます。そして1964年9月7日、台風のために1日遅れで聖火が那覇に到着。9月8日からスタートした聖火リレーは2日かけて那覇から大宜味村塩屋まで東海岸通って、西海岸を回って那覇に戻るというルートを辿りました。
当時は公の場では日本国旗が掲揚できなかったらしいのですが、この日ばかりは沿道が日本国旗であふれかえったらしいです(このあたりの話は沖縄公文書館に詳しくまとめられています)。
で、時は2016年。東京オリンピックから52年後の今、沖縄で東京オリンピックの痕跡を探してみようというのが本日の記事内容でございます。それでは早速まいりましょう。
土産物屋に売られている琉球切手
許田の道の駅で1000円だった。
まずはこちらをご覧下さい。これ、よく沖縄の土産物屋の片隅で売られている昔の琉球切手を集めたセットみたいなやつです。
今回買ったのは記念封筒、琉球切手、消印が1セットになったものなのですが、そのなかに東京オリンピックのものがありました。
沖縄での聖火リレーを記念して発行されたであろう琉球切手。モチーフは守礼の門と聖火トーチ。金額は3セント。
消印は那覇中央郵便局のもので、「オリンピック東京大会沖縄聖火リレー記念」となっています。
このシリーズ、かなりよい状態で結構大量に販売されているのですが、会社名もなければ連絡先すら書いてありません。本物だとは思うんですが、50年以上前に「これは売れる」って思って大量に封筒と切手を買って郵便局で消印を押して貰った人がいると思うとそのエネルギーがすごいなぁと思います。
本土・沖縄間OHマイクロ回線 記念之碑
続いては名護市の山奥に。多野岳という山の近くです。
めちゃめちゃ大きな電波塔みたいなものが建っているのですが、その電波塔の下にひっそりとあるのが…
この「本土・沖縄間OHマイクロ回線 記念之碑」です。
さて、この碑がオリンピックになんの関係があるのかと言いますと、このマイクロ回線(マイクロウェーブ回線)が開通するまでは沖縄では本土から空輸された番組フィルムを放送していたということらしいです。碑には「昭和三十九年九月、新時代の寵児として本回線は開設された。時、恰も東京オリンピックに当りそのテレビ中継に沖縄百万県民は、地理的、時間的条件を超え、迫力ある臨場感に感嘆し、本土との一体感に感動した」と書かれています。マイクロウェーブ回線の開通によりリアルタイムで沖縄の人も東京オリンピックを楽しめた、ということですね。
- 沖縄の多野岳中継所から
- 徳之島・奄美大島などを経由して内地に電波を飛ばしていたらしい
聖火宿泊碑
続いては名護市の嘉陽(かよう)にある「聖火宿泊碑」。
- 聖火台
- 1964年9月7日オリンピック東京大会の聖火当地宿泊を記念する
那覇から始まった聖火リレーは東海岸を通って、大宜味村の塩屋まで行くのですがここ名護市嘉陽が1日目の終わりだったようで、嘉陽小学校に宿泊をしたそうです。その聖火宿泊を記念した碑が現在も残っているというわけです。
聖火宿泊碑の道を挟んで向かい側にも石碑があります。こちらは1965年3月に村内有志によって建てられたものらしく「聖火のあとさき」という文章が彫られています。
「世界を相手の嘉陽がお祭り行事をしたのだから大ごとだ」から始まる文章は嘉陽に聖火がやってきた興奮とそれを後世に語り継ごうという内容になっていてすごく素敵な文章です。全文は載せないので気になる方は是非足を運んでみて下さい。
そして聖火が宿泊したという嘉陽小学校。現在は廃校になってしまいましたが、
校庭の片隅に五輪のオブジェがありました。
ちなみに聖火宿泊にちなんで嘉陽の集落の後ろの方の森を「オリンピアの森」と呼んでいたらしいのですが、本当に今も呼ばれているのか。呼ばれてない気がします。
宜野湾市伊差の聖火オブジェ
最後は宜野湾市は伊差交差点にあるオブジェ。目にしたことはあるけどこれが東京オリンピックに関連するものだと知っている人は少ないんじゃないでしょうか。
表には「交通安全之塔」の文字。
上の方には「SAFETY TRAFFIC」と英語表記もされています。
このオブジェの作者は日本画家であり、彫刻家でもある山田真山(やまだしんざん)。糸満市の平和祈念堂に安置された大きな「平和祈念像」の作者といった方が分かりやすいかもしれません。同じ宜野湾市の森川公園に天女のレリーフがあるんですが、それの原画を描かれた方でもあります。
ちょっと出典を覚えていないのですが、このオブジェは聖火が通る伊差交差点付近で交通事故が多かったため、交通安全を呼びかけて聖火リレーを通そうぜ的なことで設置されたという話をどこかで聞きました。施工は1962年3月となっています。
まだどこかにオリンピックの痕跡はあるのかもしれない
というわけで本日は52年前の東京オリンピックの痕跡を沖縄で探すという内容でした。さすがに復帰前の話で割と情報が見つからなかったのですが、探せばまだまだ当時の痕跡的なものはあるかもしれません。読者の方でご存じの方がいらっしゃったら、是非とも教えて下さいませ。
2020年には再び東京でオリンピックが開催される予定ですが、色々ありそうなのでどうなっちゃうんでしょうかね。そして最後に言いたいことがありまして、オリンピックの中継をNHK教育で朝流すと息子が毎回テレビを見て絶望した顔をするので、ぜひ朝は「お母さんといっしょ」を流して下さい。NHK様何とぞ…!