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ムーチー由来の場所に行ってみる
旧暦12月8日は「ムーチーの日」
2014年1月8日(旧暦12月8日)は「ムーチー(鬼餅)」でしたね。この日は健康と長寿を祈願して月桃に包んだ「カーサムーチー」を食べるのが習わしとされています。皆さんもムーチーを食べられた事だと思います。
DEEokinawaでは「ムーチー」ネタとして
・DEE的ムーチー祭
・美味しいムーチー料理を考える
・ムーチーにはどの寿司ネタがあうのか
・ムーチーで余った月桃の使い方を考える
などなどやって参りましたが、肝心の「なぜムーチーを食べるに至ったのか」に触れていないことに気づきました。というわけで今回はムーチーの由来譚とともに、ムーチー由来の場所をまわってみました。
まずはムーチーの由来譚
まずはちょっと長いんですがムーチーの由来について文献を引用してみましょう。
昔、といっても今から800年ほど前の琉球の舜天王の時代の話であるという。首里の金城(かなぐすく)に兄と妹がいた。後に兄は首里からはなれた大里村に移り住んでいた。妹の名はオタといった。その兄が近ごろ人を殺して食う鬼となり、大里山に住み付いて付近の人々から怖がられているという噂が広がり、妹のオタは心を痛めていた。
妹は実否を確かめようと思い、子供を背負って兄のいるという大里山を探した。家は分かったが留守だった。中に入ってみると掘立て小屋の炊事場にかまどに火が掛かっていた。怖々蓋を開けてみると、果たして人間の肉が見えた。
妹は世間の噂は本当だったのだとおびえてしまって、帰ろうとして屋外に出たところへ鬼となった兄がもどって来た。
お前、何しにきたんだと鬼の兄がいった。長らく会わないからどうしているかと思って、と妹が答えると、それじゃ中に入れ、おいしい肉があるから食べてゆけと兄は誘った。あの気味悪い人肉を見た妹は恐ろしくなって、急いで帰らねばならぬ用事があるからもう帰ると断った。鬼となった兄はせっかく来たんだから是非肉を食べてゆけといってしつこく誘った。
妹はとっさの智恵でせおっている子供の股をうんとつねった。子供は痛いので泣き出した。どうして泣くんだと鬼の兄が尋ねるので、この子は大便がしたいんだよ。外の便所へ行かなくちゃといって行こうとすると、かまわん、家の中でさせろといった。
妹は家の中でさせるわけにもいかないからといって外にいこうとすると、鬼の兄はこわい顔をして、お前逃げるつもりか、待て、外で便をさせるんだったらこうしてから、といって、長い縄紐を妹の一方の手首に結び付けた。
妹は遠く離れた木陰に行って子供に便をさせる真似をしながら手首の縄紐を外して木の枝に掛けると、急いで立ち去った。
それと分かった鬼の兄は妹を追い掛けて、オーイオーイと手招いた。それでも妹が駆けて行くので鬼の兄は、お前なんか行き倒れて死んでしまえとどなった。それでその地点をイキシニヒラという。ヒラとは沖縄方言で坂のことである。
鬼となった兄の正体を知った妹は、世間のためになんとかしなければならぬと思案した。そこでまた智恵を絞った。妹は鬼の兄を接待することにした。自分の食べる餅は当たり前の餅を作り、鬼の兄に食べさせる餅は鉄餅を作った。鉄餅というのは餅の中身に鉄をいれ、月桃の葉で包んで作った物である。妹が鬼の兄を迎えに行く途中で出会った。すると鬼は、お前、この前は逃げたな、さあ今日は肉を食べに行こう、というので、妹は恐ろしくなったが、ここからは兄の家に行くよりも金城の私の家が近いから、うちへ行こう。今日はおいしいご馳走も作ってあるからと言葉巧みに誘った。そして金城(かねぐすく)大嶽(うふたけ)の上にある家へ連れて来た。家よりも御嶽の崖の上の芝生の所がいいからといって、そこへ鬼の兄を座らせた。鉄の餅七個を鬼の前におき、自分のところには普通の餅をおいて鬼に勧めた。
そのとき妹はわざと着物の裾前を広げ、ホー(陰部)を露出して立てひざで応待した。月のものが出ていてそこは赤くにじんでいた。妹はとてもおいしそうに自分の餅を食べてみせた。鬼の兄は鉄餅をバリバリ食べていたが、ホー(陰部)を見付けた鬼の兄はいぶかって、お前の腹の下で血を吐いている口はなんだね、といって妹のホーを指差した。
妹は、女には二つの口があるんだよ。上の口は餅を食う口、下の口は鬼を食う口だ、とすごんでみせた。
それを聞いた鬼の兄は魂消てしまった。おお、鬼を食う口かと、妹のすごんだ形相に押されて思わず後ずさりをした。大きくずさった途端に崖の縁から落ちて死んでしまったという。
金城の小さいほうの御嶽には死んだ鬼の角が葬っているとのことである。このことがあってかた沖縄では鬼神を祭るといって毎年旧暦の十二月八日には餅を作ってウニムーチー(鬼餅)と名付け、折目の行事をするようになったとのことである。
『沖縄の伝説』 源武雄編著 第一法規出版, 1974.
ムーチーの話にはバリエーションがあるんですが、基本的には兄妹のお兄さんの方が鬼に。妹が餅を振る舞いつつ、「下の口は鬼を食べる口」と驚かせて鬼を殺す、的な流れが一般的なようです(子ども向けの話では当然「下の口」の下りは割愛されて、鬼を驚かせる的な流れになっているようですが)。
ムーチーはただ食べるだけでなく、ムーチーの煮汁を「鬼の足を焼く」と唱えながら門口や家の隅々に注ぎかけたり、昔はクバの葉で鬼の形を作り、門口にかけて邪気を祓ったという言い伝えもあります。
鬼っていうか原始人みたいな。
沖縄で「鬼」ってあまり聞かない気がしますが、上の写真は別の文献(『カラー沖縄の伝説と民話』月刊沖縄社 1973)に載っていた鬼の絵。怖い。
では上記の由来譚を踏まえつつ、実際の場所に行ってみましょう。
鬼が住んでいたとされる旧大里村
まずは鬼が住んでいたいたと言われる大里村。現在は市町村合併で南城市になっていますね。
こちらは南城市役所大里庁舎。
こちらに飾られているのはものすごくでかいムーチー鍋。
- でかさが
- 伝わるだろうか
旧大里村は「ムーチー由来の地」として、むらおこしをやっていてムーチーの日には「うふざとヌ ムーチーさい」が行われており、その目玉がこの大鍋を使った巨大ムーチーづくりだったのです。
鍋の寸法は直径3.25m、深さ0.7m、重量900kgとのこと。
役場の自販機にちらっと巨大ムーチーの写真が。
調べた限りだと2011年からは巨大ムーチーづくりは行われていないようですが、是非一度巨大ムーチーを見てみたいものです。
続いて鬼が住んでいたとされている大里の西原という集落へ。西原集落の近くは大里城址公園として整備されています。
- 広場。奥に「城」の文字。
- グスクの石積みもある。
ちょろっとまわってみたんですが、特に鬼が住んでいたような史跡とか形跡とかはありませんでした。
大里城址公園に行く途中の貯水池には「ムーチー発祥の地」の文字とイラストが。鬼がものすごくフレンドリーですが、さすがに人食い鬼は貯水池に描けなかったのではないかと思われます。
鬼が退治された那覇市首里金城町
続いては鬼から逃げ帰った妹が鬼を退治したという那覇市の首里金城町へ。
首里金城町といえば石畳道が有名ですよね。ムーチーのお話に出てきた金城大嶽(かねぐすくうふたけ)はこの石畳を行った先にあります。
こちらが金城大嶽。石畳道からちょっと脇にそれた場所にあり、ここだけ鬱蒼と木々が生い茂っています。案内版や観光マップでは「樹齢300年の大アカギ」の場所としても知られていますね。ここには大小二つの御嶽(うたき:お参りするところ)があって、小さい方は別名「ホーハイウタキ」と呼ばれているのだといいます。
ホーハイウタキには退治した鬼の角が祀られている、的な話もありますが御嶽の後ろにはそれらしきものは無し。
ちょっと写真では分かりにくいんですが、御嶽の北側は崖になっていてお話によればこの崖の上から驚いた鬼が転落死したということになっています。
まぁ崖はそこまで高くないんですが、きっと驚きすぎたのか鬼の打ち所が悪かったものと思われます。
案内版にもムーチー由来の土地である旨が書かれています。
以上ムーチー由来の土地からお送りいたしました
というわけで、大して今回はオチがないんですがムーチーの由来譚とその場所巡りいかがだったでしょうか。
ムーチーの由来割と場所がはっきりしているので「ムーチーの話を再現」みたいなことを本当はしたかったんですが、妹が鬼を退治する所あたりが全部モザイクになっちゃうので、とりあえず場所のみでお送りいたしました。
興味のある方は足を運んでみてください。