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どこが「やんばる」なのか調べてみた
みなさんは「やんばる」という言葉を聞いて、どのあたりだと思い浮かべますか?だいたい沖縄本島の北部あたりかなーというイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。
ちなみにDEEメンバーが思うやんばるの境界線はというと...
左が僕、右はmiooon
北部3村は一緒ですが微妙に違いますね。やはり何となく北部のほうというイメージ。
答えは人によってバラバラ。今回はどこがやんばるなのか?やんばるの境界線はどこなのか?をはっきりさせるべく、街角県民調査を実施してみました。
那覇市栄町市場で聞く
やってきたのは那覇市栄町市場。お店で働く人たちにいろいろ聞いてまわってみましょう。
まずは町田精肉店で母娘に聞く
町田精肉店のお母さん(地図:右):西原町出身。与那原町在住の50代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
名護市・許田ICを降りたらやんばる。高速降りると山が広がっているから。
町田精肉店の娘さん(地図:左):与那原町出身。与那原町在住の30代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
恩納村の真栄田や山田付近から。金武町から北。自然が多そうな感じ。
栄町ミートの旦那さん(左):那覇市出身。那覇市在住の60代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
恩納村仲泊から金武町を含めた北。このあたりからパイン畑が広がっているから。
ひやね千切店のお母さん(右):那覇市出身。南風原町在住の70代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
恩納村仲泊から北。多幸山が境。仲泊が中間の意味。昔はこの辺りまでしか行けなかった。山と海のイメージ。
タイマッサージのお店ポーチャイのお姉さん(左):那覇市出身。糸満市在住の40代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
今帰仁村、大宜味村、東村から北。名護は街。本部も街があるから含まない。山、森、田舎のイメージ。
リサイクル店 友のお父さん(右):那覇市出身。那覇市在住の60代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
名護市・許田ICを降りたらやんばる。パーッと開けた感じ。やんばるは県民の心のふるさと。
「やんばるは県民のこころのふるさと」やんばるは県民のこころのふるさと!
これは名言なのでは...!
むじ汁専門店 万富のお母さん(左):今帰仁村出身。那覇市在住の60代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
恩納村仲泊、うるま市石川から北。このあたりから植物・土の種類が違うから。
金城商店のお母さん(右):南城市出身。那覇市在住の60代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
名護市から北。北の方のイメージ。田舎、山。
ポトホトのお客さん(左):埼玉県出身。那覇市在住の30代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
名護市・許田ICから北。山、空気がキレイ。
ポトホトの店主(右):長野県出身。那覇市在住の30代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
大宜味村と東村から北。森、緑が多い。
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昼間の栄町市場での調査結果。
60、70代の方たちの答えで多かったのは恩納村あたりから北。30、40代の方は、名護市から北、高速を降りたらという答えが多かったですね。夜の栄町市場で調査したらまた違う答えが出たかもしれません。
続いては20代の人を探し求め移動して聞いてみましょう。
那覇新都心(サンエーメインプレイス前)で聞く
那覇で若者が多い場所といえば新都心のサンエーメインプレイス。
彼氏(左):福岡県出身。那覇市在住の20代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
名護市の途中から北。名護の市街地以外。木の茂った所。
彼女(右):那覇市出身。那覇市在住の20代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
大宜味村と東村から北。未開の地、森。
白いシャツの男性(左):豊見城市出身。豊見城市在住の20代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
名護市の市街地を越えた所から北。山7割:家3割。
紺色シャツの旦那さん(右):宮古島市出身。豊見城市在住の30代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
大宜味村と東村から北。漠然と何となく。ヤンバルクイナ。自然が多い。
ストライプシャツの女性(左):豊見城市出身。豊見城市在住の20代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
名護市から北。なんとなく。
レースのシャツの女性(右):豊見城市出身。豊見城市在住の20代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
大宜味村と東村から北。なんとなく。
デニムジャケットの女性(左):名護市出身。那覇市在住の30代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
本部町と今帰仁村のみ。祖母の家が本部町にあるから。祖母宅に行くときは「やんばる行くよ」って親に言われていた。隣の今帰仁村もついでに。名護がやんばると言われたくない。
ストライプシャツの女性(右):那覇市出身。那覇市在住の30代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
本部町と今帰仁村、大宜味村と東村から北。名護はやんばるでは無い。山が多い。
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那覇新都心(サンエーメインプレイス前)での調査結果。
栄町市場とは打って変わって名護市から北、大宜味と東村から北という答えがほとんど。名護市も入るけど市街地は含めないという答えもチラホラと。中には本部町と今帰仁村だけがやんばるという答えも。やんばる=田舎=おばあちゃん家というイメージ。その感覚、何となくわかります。あと、なんとなくという答えも多かったですね。
名護がやんばるだと言われたくない!という答えもありましたが、名護に住んでいる人達はどう思っているのでしょうか?ビューンと北上してみましょう。
イオン名護ショッピングセンターで聞く
「やんばるというのはね...自然がね....森があって」「ええ、はい」
おじいさん:名護市出身。名護市在住の70代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
恩納村と金武町から北。木が多い。田舎、静か、ゆったり、いい所。
娘さんと来ていたお母さん(左):名護市出身。名護市在住の50代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
恩納村と宜野座村から北。商業施設がない。緑と海、自然。
白いシャツのお兄さん(右):名護市出身。名護市在住の30代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
大宜味村と東村から北。名護は入らない。なんとなく。山。
ストライプシャツの彼氏(左):名護市出身。名護市在住の10代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
名護市から北。北部。豊かな自然。
白いシャツの彼女(右):恩納村出身。恩納村在住の10代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
名護市から北。森のイメージ。
黒いパーカーのお兄さん(左):名護市出身。名護市在住の20代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
大宜味村と東村から北。祖父が住む大宜味村に行く時に親から「やんばるに行くよ」と言われていた。自然豊かでのどか。
お子さん連れのお母さん(右):名護市出身。名護市在住の20代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
大宜味村と東村から北。自然。
黒いシャツの女性(左):浦添市出身。金武町在住の10代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
本部町と今帰仁村、大宜味村と東村から北。何もない、自然が多い。
紺色のシャツの女性(真ん中):浦添市出身。金武町在住の10代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
金武町屋嘉、名護市から北。恩納村は違う。森、山。車道が少ない。
グレーのパーカーの女性(右):浦添市出身。金武町在住の10代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
大宜味村の北側と国頭村の一部(西側)。端っこ。なんとなく。森。
若い夫婦の旦那さん(左):名護市出身。名護市在住の20代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
大宜味村と東村から北。名護市はやんばるでは無い。
若い夫婦の奥さん(右):宜野湾市出身。名護市在住の20代。
ー どこからがやんばる?なぜ?イメージは?
名護市の森が多い所から北。市街地は遊ぶ所があるし栄えているので、やんばるでは無い。
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イオン名護ショッピングセンターでの調査結果。
年代で違いが見られる結果に。名護出身、在住の若い人たちは、名護は街があるからやんばるでは無いという答えが多かったです。那覇新都心でも出た答え、『祖父母の家に行く=やんばるに行く』という答えがありました。
結構バラバラですね
まとめてみると恩納村と金武町から北、または名護市から北という答えが多いですね。年代や出身地によって答えがバラバラな「やんばる」の境界線。
答えを知る人物が今帰仁村にいると聞いたので、お話を伺いに行ってみましょう。
やんばる学研究会に答えが
やってきたのは、今帰仁城跡に隣接する、今帰仁村歴史文化センター。
こちらの館長である仲原弘哲さんは、やんばる学研究会で、やんばるの歴史文化を研究している方なのです。
早速、地図に境界線を書いていただきましょう。
書いていただいた境界線がこちら。何と2本の境界線があるではないですか!これは予想外の答え。いったいどういうことなのか聞いてみました。
ー 境界線が2つありますがどういうことなんでしょうか?
これは言語(行政)と、自然のふたつで分けられるからです。
まずは左の地図。
恩納村谷茶から金武町屋嘉の北がやんばるになります。
これは言葉(行政)の違い。谷茶と屋嘉の間に間切(まぎりというのは市町村などの行政区分)があって、読谷山間切と金武間切で分かれていました。言葉もこの間切で変わります。北山と中山の分かれですね。
もうひとつは右の地図。
読谷村と嘉手納の間を流れる比謝川に沿って、沖縄市知花を通り、うるま市天願を結んだ線です。
これは自然の違い。地質や植物、風景の違いです。このあたりから土や木、花などが変わってきます。
2つの地図にある線から北が「やんばる」と呼ばれる地域ですね。
ー やんばるという言葉や解釈について、出身地や住んでいる場所、世代により答えにバラつきがありますが?
中央(首里)から見て北部のことは、山原と書いて「やんばる」と呼ばれていました。山原の文字通り、山、森、木といったものがうっそうとしている場所。
明治以前は、村内や集落内の種族同士で結婚していたため村外に出る必要がなかったのですが、明治以降、人の流れが活発になり、人々は都会に出るように。
都会に出た人たちは、やんばる=ふるさと、田舎、帰省する場所という意味で使っているのではないでしょうか。近年では、やんばる=自然が残る場所という意味で使われていることも多いかと思います。
やんばるは県民のこころのふるさと
今までは何となくこの辺りがやんばるというイメージしかなく、はっきりした境界線はないものだと思っていました。やんばるの境界線は、言語(行政)と自然の2つというのが正確な答え。
今ではそのような区分で使われることも少なくなり、生まれた育った場所や環境、世代によって変化していくもののようです。
街頭調査で出てきた答えの「やんばるは県民のこころのふるさと」という言葉はピッタリなのではないでしょうか。
調査に協力してくださった仲原さん、栄町市場のみなさん、県民のみなさんありがとうございました。ハジカサーが多いと言われる沖縄県民ですが、何の躊躇もなく答えてくれる人ばかりで助かりました。
今後も、DEEokinawaが街頭インタビューしていたら逃げずに答えてくださいね!