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100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その1)
少し前にWebで明治や昭和の地図と現在のGoogleMapが比べられる「今昔マップ」なるものが話題になっていました。昔の地図と現在の地図を見比べてみるといろいろな気づきがありますよね。
というわけで本日は昔の沖縄の姿を探しに行こうという企画です。
その名は『旅の家土産(たびのいえつと)琉球之巻』
今回の発端なのですが沖縄公文書館のサイトを見ていて、興味深いものを発見いたしました。それは「旅の家土産」という本で全国の名勝などの風景写真を集めた写真集のシリーズ本なのだそうです。「琉球之巻」はそれの沖縄編。
(沖縄公文書館で手続きをすれば閲覧できます。)
この本が格好されたのは明治34年2月28日。2013年の今からさかのぼってなんと112年前となります。
発行しているのは光村寫眞部となっていて、制作に関わっているのは光村利藻という明治-昭和初期の写真家・実業家。
光村利藻が設立した光村印刷株式会社という会社が現在も残っており、問い合わせたところ「創業者の光村利藻が関わったものであることは間違いないと思います。」とのお返事を頂きました。
気になる内容ですが各ページが見開きになっており、右側に文章(場所の説明文など)、左側に写真という構成が23ページ続いています。
さて、この100年以上も前の写真の場所、現在はどうなっているのでしょうか?本日はこの「旅の家土産」を元に掲載された写真の現在の様子を見てみようと思います。
ちなみにこの特集をやるに当たって参考に昔の那覇の地図をご紹介しておきます。
沖縄志 巻1(明治10年出版)「沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫」より
これを見比べながら読み進んで欲しいのですが(クリックで大きくなります)、当時の那覇はかなりの割合が海です。左手の方に「奥の山」って島がありますが、ここが現在の奥武山公園あたり。こうしてみると今の那覇の姿とは全然形が違いますね。
それでは早速「旅の家土産」の写真を見ていきましょう。
三重城
まずは1-4p目。ミエグスクとそこを出入りする船の様子やミエグスクの手前から撮ったであろう写真です。
「琉球那覇ミエグスク」
右手奥がミエグスク(多分)。
「ミエグスクより那覇河を望む」
手前がミエグスク(多分)。
ミエグスクは「ミーグスク」ともよばれ倭寇への防御のために作られた城塞だということです。上の地図では右の端っこの方に三重城が描かれていますね。ここは100年以上経った今でも史跡が残っているので場所をご存じの方も多いかもしれません。那覇のロワジールホテルの裏手です。
- 史跡 三重城
- 入り口には鳥居が
現在では拝所になっているようで、ちょっと遠目で分かりにくいですが、ものすごい量の線香とウチカビが燃やされてモクモクしてました。
早速100年以上前と同じ写真の構図を探してみましょう。
- 1901年
- 2013年
順番が前後しちゃいましたけど、まずは手前に三重城が見えるの図。現在も当時の石垣に模した物が作られているので何となく面影が垣間見れると思います。昔の写真で遠くに松林が見えるのですが、現在遠くに見えるのは那覇軍港です。
- 1901年
- 2013年
こちらは1p目の三重城引きの写真。那覇港内から撮ってみました。後ろにちらっと見える森が三重城です。
屋良座森グスク
お次は「カキノ鼻ヤナジャー」。よく分からなかったのですが、昔の資料をあたってみるとどうやらここは三重城の対岸にある「屋良座森グスク」の写真のようです。屋良座森グスクは上の地図でいくと三重城に向かい合った「砲基跡」のところです。
屋良座森グスクも倭寇対策として築かれた城塞なのだそうです。
「カキノ鼻ヤナジャー」
向こうに見えるのは屋良座森グスク(多分)。
「同上側面」
屋良座森グスク(多分)。
向こう岸が屋良座森グスクあたりらしい。
屋良座森グスクは現在の那覇軍港内にあったようですが、沖縄戦で破壊されたらしく全く面影がありません。那覇軍港あたりの地名を「垣花」というようです。
ちなみに「カキノ鼻ヤナジャー」の解説文には「昔は他の侵略を防ぐ目的で大変だったけど、今は皇国の太平の世でよかったね」(超意訳)みたいな事が書いてあるんですが。結局現在も屋良座森グスクは那覇軍港としてアメリカ陸軍が使用しているわけでなんとも皮肉な話だなと思います。
先原灯台
つづいて先原灯台。旅の家土産では「サキベル灯台」と書かれています。
「サキベル灯台」
うっすらと灯台の建物
これどこか全然解らなかったんですが、調べていくと場所は今の国土交通省那覇航空交通管理部という場所にあることが分かりました。那覇空港の端っこあたりです。
ここに灯台があった事を示す案内板もありました。これによれば先原灯台は中城の津堅島の灯台とともに沖縄で最初に建てられた灯台なのだそうです。1945年の沖縄戦で破壊されたが、まだ岩の上には煉瓦の礎石や米軍の標識塔が残っているのだとか。
- 1901年
- 2013年
ちょっと方向が違うような気がしますが、現在の風景と比べてみるとこんな感じでしょうか?
那覇港まわり
続いてのページは那覇港のまわりのもののようです。
「那覇河に於けるヤンバラ船」
河川と船が見える
「シメエシ」
後ろに松林
どちらの写真にも松林が後ろの方に見えていますが、調べていくと松林があった所は「住吉」とよばれていて(住吉神社という神社があったらしい)、有名な観月の場所だったのだそうです。上の地図にも「住吉」が描かれているのでご確認を。
住吉の位置を探して那覇港に。
ここには以前の那覇港の史跡とそれに対応する現在の地図が掲載された案内板があります。
それによれば住吉は那覇港の先っぽの方から那覇軍港向けあたりのようです。
そこから推測すると、大体写真の位置はこのあたりなんじゃないでしょうか。全然面影がないので確かではないのですが…。
臨海寺
続いては「奥の寺」(臨海寺)というお寺の写真です。この臨海寺、調べてみると三重城に続く海中道路みたいなもののの途中にあったらしいのです。その景観は「臨海潮聲」とうたわれて琉球八景のひとつであったそうです。
上の地図だと三重城に至る途中に「奥之寺」という名前で書かれています。
「奥の寺(臨海寺)」
石門と奥に寺が見える
「同上本堂」
寺というか屋敷というか
さっきの案内板によれば臨海寺は那覇港の先っぽあたりにあったらしいです。
途中でそれっぽいものを見つけましたが、これは琉球八社である「沖宮」の跡地のようです。
臨海寺跡地?釣り人以外は跡地など何もありませんでした。
続きます(多分)
というわけで久しぶりになんか真面目な記事を書いてみたのですが、どうやって落としたらいいのか全然わかりません。
なんだか長くなりそうなので、続きはまた折りをみて記事にまとめたいと思います。
(次のページは「モノミグスク(吾妻館)」)
それにしても100年以上も前の写真と比べると、かなり風景が変わっていつつも、何となく面影があったりして面白いもんですね。
冒頭の「旅の家土産」琉球之巻は沖縄公文書館で手続きをすれば閲覧できますので、興味のある方は是非足を運んで読んでみてください。