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南風原町喜屋武に伝わる幻のそうめん料理
南風原町喜屋武
南風原町の喜屋武といえば以前『血湧き肉躍る、南風原喜屋武の綱引き』で紹介した通り、綱引きに対する思いがものすごく激しく熱い地域です。
綱引きが行なわれる2日間は夕刻から日付が変わるぐらいまでの長時間に渡り、集落を二分したアガリとイリがぶつかり合い、ただの綱引きとは思えないものすごい勝負を繰り広げます。
喧嘩ではなく綱引きです
しかし普段は綱引きの喧噪が嘘のように、ゆったりとした時間が流れる集落なのです。
写真は「南風原町かすりロード」を歩いてみたより
そんな南風原町喜屋武には、喜屋武にだけ伝わる美味しい「そうめん料理」があると聞きました。
人に聞いたり調べたりしてみてわかったのは
・南風原の喜屋武だけに伝わる料理
・普通のそうめんではない
・美味しくてビックリする
・最近はあまり食べられていない
ということぐらい。
「喜屋武のそうめん」とはいったいどんな料理なのでしょうか?
※先日放送された『ウチナー紀聞』をご覧になった方はおわかりかと思いますが、今回はウチナー紀聞のロケで取材の、時間の都合上放送ではカットされた話も含んだDEE記事ロングバージョンです。
そうめん名人のお宅へ
さっそく喜屋武のそうめん名人と呼ばれる親子を紹介してもらったので、お家にお邪魔してきました。
こちらがそうめん名人の中村トヨさんと娘さんの美鈴さん。
笑顔がステキです
まずは娘の美鈴さんにそうめんの作り方を見せて頂きました。
— 茹で方は普通のそうめんとはちがうのですか?
1人前は1束では少し多いぐらいかな。
計ったことがないからわからないけど。
茹でる時間は母が言うには箸にかけて乗っかったらいいぐらい。スルスル落ちていくとまだ。
何分ってはかったことはないよ。
冷やしそうめんよりは少し固めかな。
高級なそうめんを使うことになっているから、昔は那覇の市場までそうめんを買いに行くところから準備がはじまったみたいよ。
— 作り方は今と昔で違うのですか?
今は茹で上がったそうめんはバットに置いているけど、昔は200名分ぐらいを作っていたから。
そのときは雨戸をたわしで洗って、その上に白い布をひいて、そうめんを置いて乾かしよったよ。
— 雨戸が調理用品になっていたんですね。
子どもの頃は雨戸を洗えば、そうめんが食べられると思ったから張り切って洗いよったよ(笑)
— 茹でるまでは普通のそうめん作りとそんなに変わらないのですが、ここから何がはじまるのでしょうか?
喜屋武のそうめん作りはここからだわけ。
出汁を作るために準備を前日からやらんといけんわけさ。
かつお出汁、Bロース(脂身がある肩ロース)出汁、豚の骨の出汁、この3つの出汁を使うのね。
喜屋武そうめんは出汁を3種類使うそうです
Bロースはそうめんが出来上がったあとに具にも使うよ。
3つの出汁を1つに合わせるんだけど、出汁の量は目分量。
だいたいかつお出汁1、Bロース出汁2、豚骨出汁2、ぐらいかな。
分量なんかは目で判断するから決まった量はないのよ。母の味を覚えてこれぐらいかな、と思ってやってる。
3種類の出汁を混ぜた独自の出汁が完成
そうめんはこの出汁を取るのが大変だからね。
3〜4時間は煮込んでいるはずよ。
この合わせた出汁をもう一度煮て、塩と醤油で味を整えたところにそうめんをくぐらすの。
— くぐらせる?
出汁の中でそうめんを沸騰させることによって味を付ける役割をしているわけ。
くぐらしています
食べるときは出汁はたくさんは入れずに少しだけ入れるの。
— せっかく作った出汁を少しだけしか入れないんですか?
はっきりとはわからないけど、たくさん出汁を入れてしまうと人数が多いから伸びてしまうからじゃないかな、と思っている。
そして茶碗に盛ります。
— え、お茶碗に入れるんですか?
変だよね(笑)
なんでかね?
昔から茶碗だったよ。
喜屋武のそうめんを食べた
出汁を前日から取ってつくられた、めったに食べることができない幻の喜屋武のそうめんです。
一見、沖縄そばや肉が乗ったにゅうめんのようですが、ここまでの行程や喜屋武だけに伝わるということを聞いたら、とてもありがたく思えてきます。
では食べてみましょう。
うまっ!!!
丁寧にとった3種類の出汁の味がそうめんについていて素朴でまろやかな味。
トロトロのお肉が柔らかく口の中に広がり、最後に紅しょうがでサッパリ。
あまりの美味しさに、茶碗に入ったそうめんを搔き込むように食べてしまいました。
そうめんを作っていると聞いてやってきた親戚の方やご近所さんも、美味しい美味しいと食べています。
喜屋武で住んでいる人も何年かぶりに食べたそうで、とても幸せそうな顔をしているのが印象的でした。
「わたしの結婚式で何十年も前に食べた喜屋武そうめんの味を忘れられないと友人が会うたびに言うんだよ」とご近所の人が話してくれました。
ご友人は結婚式にそうめんがあることにビックリ、食べてみて美味しさにビックリしたそうです。
今では喜屋武の人でもあまり食べる機会がないそうなので、喜屋武以外の人が食べる機会は一生に1度あるかないかなのかもしれません。
そうめん名人のトヨさんへインタビュー
— なぜ喜屋武のそうめんは、喜屋武だけで食べられているのですか?
それはわからないのよね。
— ではいつ頃から食べられていたのですか?
昔は結婚式の行列のときに食べたと聞いたことがあるから、戦前から食べられていたはずよ。
正確にいつ頃から始まったかはわからないけど。
戦後でも40年前ぐらい前までは、今のように式場で結婚式をあげずに家でやっていたでしょ。
参列者が200名ぐらいだったからみんなに振る舞っていた。
花嫁を送り出す家でも、花嫁を迎える家もどちらでも御馳走を作って。
準備は親戚が集まってしていたよ。
— そうめん料理で参列者の人を接待していたということですか?
くーぶいりちゃーとか、田芋とか、いろんな料理も出すけど、喜屋武ではそうめん料理も出していた。
自分なんかは親戚やその他の家の手伝いをしていたから、自然にそうめんの作り方は覚えたわけ。
— そうめんって私の感覚ではおもてなしの料理ではないような気がするのですが、なぜおもてなしの料理として食べられているんですか?
結婚式だから共に白髪が生えるまでの象徴として食べられていたのではないかと思っている。
本来は結婚式でしか食べないから。
— なるほど!でもその理由だとかえって他の集落もそんなに遠くないのになぜ喜屋武だけという疑問が残りますよね。
うーん。
喜屋武にはじんぶなー(賢い人、頭の回転が速い人)がたくさんいたからじゃない?
(美鈴さん)「これ他の集落の人が聞いたら怒るはずだよ(笑)」
70代になる人が喜屋武に嫁に来たときに「御馳走でもないのになんでそうめん」と思ったって。でも食べたらすごく美味しいからね。
最初は失礼だねぐらいに思っていたのに、今ではこれが一番の御馳走と思ってる、っていう話もあるよ。
うちは正月や綱引きで人が集まるときに、みんなが食べたいからって作る。
準備が大変だからあまり作れないからね。
— 現在はあまり食べられていないのですか?
昔はそういうもてなすときがあったけど、今は式は外でやるから、あまりそうめんを作っている家はないんじゃないかな。
結婚式場でやるけど、家庭でもごちそうを用意してという家ならば出るかもしれないけど。
でもそのときは外の人は招待されないから、身内だけで食べているかもしれないね。
そういう意味でもそうめん作りをする場というのが今は減ってきている。
あとはかじまやーのお祝いとか、お家でお祝いをするときはそうめんを出すよ。
喜屋武のそうめんを引き継ぐ思い
— 今後、喜屋武そうめんはどうなっていくと思いますか?
そう聞くと美鈴さんは答えてくれました。
喜屋武のそうめんにはレシピがないから。
昔から喜屋武で伝わっている食文化だけど、作り方や味は準備を手伝ったり食べたりして受け継がれている。
だから味を知っていないと残すことができない食文化なんです。
私が作るそうめんの味は母から習ったもの。この味を今度は自分が若い人たちに伝えていきたいと思っています。
料理は愛情というけど、味も愛情がないと伝えられないと思っているから。
喜屋武の食文化を、この家だけではなく喜屋武全体で残していければなと思ってます。
それが地域づくりに繋がると思うんです。
だからまずは母の味をちゃんと引き継ぎたいと思ってます。引き継げているかな?
そう言ってトヨさんの方を見た美鈴さん。
トヨさんは「バッチリ!太鼓印押したいぐらいよ!(笑)」と笑っていました。
作るのに手間もかかるし材料も良いものを厳選して使う喜屋武のそうめん。
「御馳走としてそうめんを出していた」と聞くと不思議な感じですが、喜屋武のそうめんは時間も愛情もいっぱいに詰め込んだおもてなしの心から生まれる料理なんだと思いました。
喜屋武のそうめんが食べられるかも?
と、ここまで幻のそうめんのことを長々と書いてきて、読んでいるみなさんはヤキモキしたかと思います。食べたいですよね!?
そこで朗報です!
もう少し先のことですが、美鈴さんのお話では年末あたりに喜屋武で親戚がお店を開店するので、そのときにお客さんにそうめんを振る舞う予定があるそうです。
詳細がわかり次第教えていただくことになっているので、楽しみにお待ちくださいませ。
ということで、とっても幸せな気持ちになれるそうめん。
本当に美味しかったです。
喜屋武のそうめんがこれからも長く喜屋武の食文化として残っていきますように。