2013.01.17

新天地市場のその後

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2011年の10月に閉鎖された新天地市場。戦後すぐから衣料服を扱って売っていた市場です。そこで働いていた人はいまはどうしておられるのでしょうか?その後を追ってきました。

衣料品が集まる市場

みなさんは新天地市場をご存知でしょうか?
那覇の公設市場から農連市場へ向かう途中にあった衣料品を扱う市場でした。「でした。」こう書いたのは2011年10月で新天地市場は閉鎖されたからです。

場所はこのあたり。

地図にはまだ新天地市場とあります

まだ市場が開いていた頃の写真が一枚だけ出て来たのでご覧ください。

市場の写真というよりバンシルーの写真なのですが、市場を歩いていたらお店のおばさんが「食べなさい」とくれたのです。

この写真だけでは全貌はわかりにくいですが、イメージとしては農連市場の雰囲気で、台座の上におばさんが座っていて、その前に服が並べられている感じでしょうか。

こちらは農連市場

さて、そんな新天地市場が閉鎖されて一年と少し。
わたしはずっと気になっていました。初対面の人間にバンシルーをくれるような温かくて親しみやすい、あのおばさんたちは、いったいどうされているだろうか?と。

ということで今日は新天地市場のその後を見てきました。

通りは健在

まずは市場の周辺を歩いてみたいと思います。
現在は市場の全体がシャッターで囲われ鍵がかかり市場の中には入れなくなっています。
周りだけ歩いてもシャッターの奥に広い市場が広がっていたのはわからないと思います。

浮島通り添いにある新天地コイン駐車場

駐車場の奥のトタン屋根の部分が市場でした。

市場は閉まりましたが、あとから整備された新天地市場本通りはまだ営業しています。

衣料品を扱う市場だったので、通りも当然衣料品屋さんが多いようです。

服の量に圧倒されて見落としてしまいがちですが、本通りのところどころに市場への入り口看板があります。

看板から中に入ると新天地市場中通り

薄れかけた水玉模様の背景が、ここがオシャレな場所だったと物語っているようです。

中通りにも所狭しと服屋さんがひしめき合っています。

 

新天地市場の最後の市場会長

最後に新天地市場の市場会長をされていた方々を紹介していただきました。
現在は新天地市場本通りでお2人でお店をされています。

市場の中でもお二人でお店を営まれたのかと思いましたが、市場の中では同じ台の上で隣同士でお店をされていたそう。
市場から出て外でお店をするときに、家賃も高くなるし、気の知れた仲だし、ということで2人で店舗を借りたそうです。

--市場の中と外では違いますか?

やっぱり(市場の)中の方がやりやすかったさ。
自分たちは中から出てきてビックリしたよ。500円で服があるんだから。
中にいるときは外の状況がわからなかったから。

中では他のお店との仕切りがなかったでしょ。
やっていた頃は本当に楽しかったわけよ。
でも中でやる人が少なくなってしまったからね。
お客さんも知っている人しかあんな市場があるってわからないから来ないし。
表に出たら人がいるからいいかなーと思ったけど、安い服が多いからこっちはこっちで難しいね。

--何年間やられていたんですか?

わたしは最初から。60年前から。
まだ新天地市場がちゃんとできないときからやっていたよ。
中はそういう人が残っていたよ。
最初は洋裁学校を卒業していろいろ勤めていたけど、こっちだったら自分で布を買って縫ったら売れるよ、ってきいたわけ。じゃあやってみるかって。
まだ結婚する前だったよ。親にミシンを買ってもらってね。

一日分を縫ってきて売って、ぜんぶ売れたら帰る。
公設市場の近くでも売っていたけど、あっちはやりにくかったから、どんどん流れてきて、場所が空いてるよって教えてもらって。そこが市場だったの。

本当の最初は20人ぐらいだったよ。最初は屋根もなかったし、台もなくて。
お店の軒先みたなところではじめて、次は台を作ってもらって、台にあがって売って。
だんだん人が集まってきたから地主さんが屋根をつけたの。

--一番賑やかだったときはどんな風でしたか?

昔は1年に1回市場のみんなで総会をするって出かけてたんだけど、一番多いときはバスが8台になったよ。ぜんぶで400名近くいたから。復帰の前からその後10年ぐらいかな。
台の上の180cmの幅に3名座って商品売ってたからね。足も伸ばせない状態。席をはずすときはまわりのお店の人がものを売ってくれたり。そんなんで40年近くやっていたから、みんな家族みたいだったよ。
楽しかったよー!

でもだんだん人もいなくなるし悪くなっていった。
それでも内地から布を買って、作るのはイチから沖縄ってことで評判は良かったんだけどね。
昔はお店を辞めてるでしょ、そして次の人にお店を譲る条件が厳しくてね。
最初の方からお店の権利を譲渡しやすかったら市場にもお店がもっと残っていたはずだから、今でも中でできたかもしれないね。

閉まるときは30名ぐらい残っていたから、最後は全員でレインボーホテルでお別れ会をしたよ。
今でもその中の20名ぐらいが本通りや中通りでお店をしている。
昔とは違ってしまったけど、まだ他の人がやっているのが嬉しいよ。

あと市場が閉まってもうお店も辞めてしまったと思っている人が多いけど、1年たって通りでお店をやっていると気付いてもらえるようになってきた。昔に市場に来ていたおばあたちがときどき買いに来てくれるよ。

こっちで元気でしっかりやってるよ!って書いておいてよ!!(笑)

中通りのお店の人にも話を聞いてみた

新天地市場があった目の前でお店をやっている方に話を聞いてみました。
市場を囲うシャッターも利用して服を売っておられます。


「写真は恥ずかしいわー!」

--市場が閉まって中通りに移られたんですよね?こちらのお店は空いていたんですか?

こっちはもう何ヵ年も空いていたよ。
市場の中の方が家賃が安かったから。こっちに移って家賃は倍ぐらいになったけど、中の人が通りのお店に移ったから、通りのお店はいまはほとんどいっぱいしてるんじゃないかな。
市場が閉鎖されるときは市場の場所は取り壊す予定と聞いたけど、1年たっても何もないからなんだろうねー。

--通りでやってみてどうですか?

やっぱり中の方が気楽だったし楽しかった。
いまのお店は仕切りがあるから。前は仕切りがなかったでしょう。
ちょっと席を外してもまわりの人が売ってくれたりしてたから。まわりの全員で商売している感じだった。いまは個々のお店だからそんなのは無理でしょう。

--どんな商品を扱っていたんですか?

今も昔も全部沖縄製の洋服よ。
内地から布だけ買ってね。
昔は縫子を2、3名雇ってたんだけど、最近はみんな自分で裁断して縫っている。

ひとつひとつ、ちゃんと縫っているからほつれないらしいです

こういうのはこっちでしか買えないからね。
でも今は外国製は500円で売ってるでしょう。だからなかなか売れないの。
中でやっているときは安い商品は気にしなかったんだけどね。

値段は3000円前後。
手触りもよく着やすそうでした。おばあちゃんに贈りたい。

お話を聞かせていただいた最後に飴をいただきました。

新天地市場通りで会いましょう

ということで新天地市場のその後を追ってみました。
市場が閉まってしまったことでひとつ歴史が終わったように感じていましたが、中で働いていたひとのほとんどは、現在は通りでお店をやられています。
商品も市場で扱っていたものをそのまま売っていることが多いようです。

つまり市場でしか買えなかった商品が、買いやすい表通りに出てきたと考えることもできるのではないでしょうか。

ぜひみなさんも新天地市場の周辺に行ってみてください。そしてできればおばさんたちが作った商品を手に取ってみてください。とても柔らかくて丈夫な他では買えない沖縄製がありますよ。

今回はなにより市場の温かい親しみやすいおばさんたちとまた会うことができて、わたしは嬉しかったです。

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