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さようならゲームインナハ
国際通り。
今では歩いているのはほどんど県外からの観光客なんじゃないかと言われます。しかし何十年か前までは「那覇に行く」=「国際通りに行く」という使い方をされるほど、沖縄県民にとってかかせない場所だったらしいです。
そんな時代によって行き交う人が違う国際通りにおいて、何十年もこの地を見守ってきたお店があります。
それがゲームインナハ、通称インナハです。
他のお店とは明らかに一線を画す雰囲気
そんなインナハが先日惜しまれつつ閉店しました。
今日はそのレポートです。
インナハに初潜入
お店の扉の店名
とりとめのないカラフルさは時代を感じる配色
まずはゲームインナハがどんなお店かみてみましょう。
実は目の前は何度も通ったことがありますが、実際お店の中に入るのは今回がはじめてです。
少し薄暗い店内。こういうゲームセンターは昔よくありましたよね
音楽ゲーム
通りに面したところに置いてあるのでゲームに講じる人の姿をよく目にしました
湾岸ミッドナイトというゲームは予約制らしい
この一角のゲームはぜんぶ修理中
2階へあがってみましょう。
「二階は全ゲーム50円」と書いてあります
50円!?
2階
30代の友人いわく、中学生のときはゲームインナハの2階に行くと必ずヤンキーにカツアゲされる怖い場所だったそうです。
本当に1ゲームが50円
格闘技ゲームが多かったのですが、隅の方に花札ゲームもありました。
インナハの螺旋階段はすごい
ゲームインナハの建物は古く、1950年代の写真にもその姿が残っています。
「那覇まちのたね通信」より
この頃は百貨店として使われていたようです。
現在(2012年)の外観
どちらの写真にも建物の右上にらせん階段があるのがわかるでしょうか。
このらせん階段は沖縄最古のらせん階段であり、今でも使われているのは相当珍しいらしいです。
建物内部の螺旋階段
沖縄最古と思うと感慨深い
閉店当日のお店のようす
では、話を閉店のことにもどしましょう。
閉店当日、店内には閉店のお知らせが何枚も貼ってありました。
開南のゲームインナハは今後も通常通り営業するようです
本日より50円
以前から貼ってあったんでしょうが、本日で終わりと思うと切ない
お店の外にはご自由にどうぞの景品の数々
ぬいぐるみなどいろんなものが入ってました。
店員さんに話を聞いてみました
閉店について聞かせてくださいというお願いに快く応じてくれた店員Mさん
ゲームインナハ勤務歴22年だそうです
—ゲームインナハはいつからあるお店なんですか?
ちゃんとした年代はわからないけど、1970年後半のインベーダーゲーム時代からあるので、30年〜40年ぐらいじゃないかな。
自分の親戚がオーナーなので小さい頃からよく来ていた。
ゲームセンターになる以前はパチンコ屋さんだった。
—今日は何かイベントのようなことはするんですか?
特にしないです。
でもおもちゃや備品などは欲しい人に持って帰ってもらってます。
ゲーム機器もオープン当初からあるものはなくて、古くて3年前ぐらいのもの。
だからゲーム機器はどこかに引き取られる予定です。
—建物の老朽化で建て直すと聞いたのですが
建て直しはしないんじゃないかな。
改装してテナントとして貸すと聞いています。
—今日はお客さんが多いですか?
少し多いくらいかな。
いつもたくさんの人に来てもらっていましたよ。
自分は閉店する理由までは聞いていません。
通ってもらっていた人からは寂しい、ツライという声をもらっています。
自分も同じ気持ちです。
お客さんにも話を聞いてみました
たくさんの備品をゲットした人たち
いつも音ゲー(音楽ゲーム)をやりに来ていました。
こういうゲームセンターが国際通りにはあまりないし、何より店員さんがフレンドリーで良かった。
機器もちゃんとメンテナンスがおこなわれていて、環境も良かった。
ここで知り合って友だちになった人もいる。
やはり無くなるのは寂しい。
他にも青春時代を思い出して閉店に駆けつけた方もおられ、ゲームインナハが長年人々に愛されていたことがわかります。
そしていま
閉店から1週間。
ゲームインナハが閉店した建物は以前のような喧噪がなくなり、なんだか物悲しい表情をしています。
でもこの建物は60年以上も国際通りで、百貨店、パチンコ店、ゲームセンターと時代にあわせて衣替えをしていたことも事実。
次はどんなお店ができるのでしょうか。そして、そこでも螺旋階段が使われるといいな。
そんな思いも込めて、ゲームインナハのように愛されるお店ができることを期待しています。