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【大人の社会見学】沖縄で最後の手打ち鍛冶屋 池村鍛冶屋
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など離島ネタをお届けしてきましたが、今日は最後の石垣島ネタをお届けしようと思います。石垣島で最後の鍛冶屋さんのインタビューなんですが、皆さんは「鍛冶屋」と聞くと日本刀の刀鍛冶みたいなものを連想するかもしれません(少なくとも僕はそんな感じのことを思ってました)。
石垣島の鍛冶屋さんがいったいどんなものを作っているのか、そしてその技術や歴史など聞き取りからご紹介してみたいと思います。
石垣島で最後の鍛冶屋「池村鍛冶屋」
石垣市の市街地の近くに、「カンジャヤー(鍛冶屋)通り」という通りがあります。その昔は石垣島にも20件ほどの鍛冶屋があり、カンジャヤー通りにも7-8件の鍛冶屋が軒を連ねていたのだそうですが、今残る鍛冶屋さんは「池村鍛冶屋」一件だけなのだそう。
池村泰欣さんは現在63歳で池村鍛冶屋の3代目。沖縄本島にも鍛冶屋さんはいるらしいのですが、今は鉄を打つときは電子ハンマーという機械を使っているのだとか。熱した鉄をハンマーで打ち付ける「手打ち」をしている鍛冶屋さんは沖縄では池村さんだけなのだそう。
工房に並べられているのは鍬や鉈などの農具や、船のアンカーだったり水中銃のヤリなどといった漁具など。
真ん中にあるヤリの穂先みたいなものは「イノシシを突くためのヤリの穂先」、その右にある平たいやつは「アダンを採るためのヤリの穂先」(石垣島ではアダンの幹などを食用にしている)。他にも「シャコ貝などをとるためのハンマー」だったりものすごく用途が限られた道具が販売されていました。
鉈や鍬はそれぞれ「石垣島」「波照間島」「与那国島」…のように各島によって大きさや形が微妙に違うらしくて、各島で使われるものを別々に作っているのだそうです。
インタビュー1 鍛冶屋になるまで
作業を見せてもらいながら池村さんにお話を伺いました。
― 鍛冶屋を何年くらいやられているのですか?
34年間やっている。私で3代目だよ。うちは代々鍛冶屋をやっていて私の場合はすぐ入りやすかったです。小さい頃から見て、ずっとやってきたから。
小中学の時には忙しいときにちょっといろんな事を手伝わされたさ。職人ほどでは無いけどね。あれを片付けなさいだったりとか、これを打ちなさいとか。でも最初から鍛冶屋をやるとかこれっぽっちも無かったよ。全然、こんな仕事誰がやるかと思っていた。見てきたさ、難儀だろ?汗かいてもう、やっているもんだから。
でも仕事も無かったから、会社も倒産したし、島に帰ろうかということで。
― 鍛冶屋というのはどのくらいで一人前になるんですか?
そうな。5年くらいからかな。昔はまだかかったみたいだな。打つまでに3年くらいはかかったな。最初は鞴(ふいご)ふきから。親方の後ろに鞴があって、親方 の横でね見習いの少年とかがね、鞴を吹いていた。朝からずっと仕事が単調なもんだから、にーぶい(うとうと)したりして。で、昔の親方は炭を投げて起こし たりして。この鞴ふきを2〜3年させられるわけよ。
昔の職人はね、3時休みとか4時休みとがあるだろ。そのときに早く飯を食って、自分で火をおこして、自分でつくって練習をしたもんだった。今は手をとり教えるけどさ。
鍛冶屋に一人前なんてないよ。先輩方もそういうけどさ。焼き入れは死ぬまで勉強、と言っている。なかなか納得のいくものができないから。若いときはさ、焼き入れをしておるだろ?(うまくいかなくても)まぁいいか、って自分で楽をするわけ。この年になるとよ、あーキレイにならんかった、ってまた最初から。
インタビュー2 鍛冶屋の仕事と技術
(ハンマーで軽快に鉄を打っていく。簡単なようで常に水平にハンマーを打ち付けなければならず熟練が必要。)
―今鍛冶屋さんにお客さんはどのような方なんですか?
今も注文は多いね、お客さんが「こんなのを作ってくれないか」ってアイディアをもってくる。で、作ってお客さんに見せて「これじゃ使えないじゃないか」って言われて、直したりしながら手を加えながら作っていく。
打って柄が折れたり、歯が欠けたりしたらこっちの責任だからタダだわけ。長い間使って減ったら別だよ。でもホームセンターなんかで売ってるやつは、歯が欠けたりしても替えてくれないそうだな。昔はホームセンターの方が安かったかもしれんが、今値段はそんなに変わらんよ。
この鍬を見てごらん。これが与那国の三つ叉鍬。与那国はなんでも大きいよ。島によって道具の大きさが全然違うんだ。鉈の大きさも違う。島からも注文が来るけど、昔ほどではないな。与那国の人は今でもあの鉈しか使わないよ。あの島で使うのにちょうどいい大きさということなんだろうな。石垣島で使うには大きすぎる。
―沖縄の鍛冶の技術は独特なんですか?
沖縄の鍛冶は焼き入れの仕方、つくる鍬などの形、全部本土とは違う。沖縄独特だよ。
今は鉄と鉄をくっつけるには溶接機があるけど、「あわせ付け」というものがあってな。泥でつけるんだ。昔は溶接機がないからみんな「あわせ付け」でつけた。沖縄独特のものだけど、もうこの技術を持っているのは私だけじゃないかな。みんな珍しくて聞きに来る。昔は鍬なんか使ってきたら歯が減ってくるだろ?そしたらそれも歯をあわせ付けでくっつけて伸ばした。今は溶接機でやっているよ。あれやってたら時間がいくらあっても足りないから。
鉄を打つハンマーや火ばさみなんかも全部これは手作り。それぞれ大きさや作りが違うんだけど、つくるものによって使い分けてるんだ。
―弟子入りしたいという人も多いのでは?
弟子入りしたいという人は沢山来るよ。でも自分が食べるので精一杯で給料なんかだしきれんから。今ここだけじゃなく、全国そのようなもんだと言っていたよ。
昔は私の鍛冶屋だけで7,8名の見習いがいたんだが今は私一人の仕事が精一杯さ。前に「弟子にしてくれんか」ってやってきて、今は高知の鍛冶屋で弟子入り している人がいるけど高知でも「技術は教えられるけど給料は払えない」といわれてやっているらしい。他の仕事やりながら、鍛冶もやっているそうだ。
(作りかけの鉈の刃のところ)
鍛冶は時間はかかるし、人手はかかるし大変だよ。今沖縄の鍛冶屋は全て電気ハンマー。もう手打ちをやっているのは私一人だけだと思う。電動ハンマーはさ、昔 は買ってつけようかと思ったよ。でも、これ払い戻すまでに60過ぎまでかかるなーと思ってやめた。あと隣近所に迷惑もかかるしいけないなと思ってね。昔は対面打ち(2名、3名で鋼を打つこと)するから、音楽を聴いてるみたいでよキレイなそれはリズムだった。
あのころは鍛冶屋はすごく儲かったんだよな。開拓移民の道具なんかは全部鍛冶屋が作っていたから。昔は戦争の砲弾の破片を材料にしたり、ボンベを材料にしたり、しばらくしたら車の板バネを材料にしたり、捨てる鉄板なんてなかったよ。みんなお金になったさ。だからカネが金を呼ぶみたいなね。
(工房の外にある車の板バネ。砲弾の破片もあった。)
ものつくりのプロフェッショナル
というわけでちょっと断片的になってしまいましたが池村さんのインタビューでした。
石垣島の滞在時間もあったのであまり詳しいことは聞けなかったのですが、以前の「大人の社会見学】伝統の鍋シンメーナービ工場」でも感じたような職人オーラをむんむん感じました。
ちなみに写真にうつっている鉈はネット販売でも購入できます。また、某キャンプ雑誌で取り上げられて、そのときは注文が殺到して鉈ばかりつくっていたそう。鍛冶屋さんというと何となく刀鍛冶を想像するのですが、池村さんは生活に密着した農具や漁具をつくる「街の鍛冶屋さん」だと思いました。
池村さんお忙しい中ありがとうございました!