- DEEokinawaトップ
- 特集
- 【泡盛蔵探訪】沖縄で唯一、戦前の姿を残す酒造所に行ってきた
【泡盛蔵探訪】沖縄で唯一、戦前の姿を残す酒造所に行ってきた
こんにちは、インターン比嘉です。
皆さん、名護でお酒の工場見学をするとしたらどこを思い浮かべますか?
「オリオンビール工場!!」とほとんどの方が思われるでしょう。
(私は自信を持ってオリオンビール工場と答えます)
ですが、名護には工場見学可能な「津嘉山酒造所」という沖縄で唯一、戦前の姿を残す酒造所があるんです!!(先週知りました)
こちらが、その建物です。
地元でも知らない人が多く、民家の中にひっそりと佇んでいます。
某宮崎アニメ「◯と千尋の◯隠し」に出てきそうな建物ですね。
今でもお酒を造っているのか心配になってきました・・・
それでは「お邪魔しまーす・・・」
恐る恐る忍び足で・・・
ん!?泡盛の良い香りが立ち込めていて、施設は動いているようです。
んッッ!?釜爺・・いや!人がいる!!
「・・・お邪魔してまーす。 施設みせてもらっても良いですか?」
仕事をしている職員の大城さんに無理言って案内してもらいました。
施設の事を聞いてみた
ー津嘉山酒造所って今でもお酒造っているんですか?
造っているよ。従業員4人だから数には限りがあるけどね。
ー津嘉山酒造所って何でこんなに古いんですか?建て直したら良いのに。
とんでもない!!津嘉山酒造は沖縄にある酒造所で唯一戦前から残っている、とても価値のある建物なんですよ。
(この時大城さんの顔がもの凄く恐かった・・・)
津嘉山酒造所の歴史
- 明治13年 津嘉山朝保(創業者)が与那原に生まれる。
- 明治41年 津嘉山朝保、小橋川ツルと結婚。
- 明治44年 津嘉山朝保の長男・朝勇生まれる。
- 大正13年 津嘉山朝保、名護に移る。
- 昭和2年 津嘉山朝保が酒造所兼住宅の建築を始める
- 昭和3年 酒造所兼住宅が完成。国頭郡で初めて泡盛製造免許を取得
- 昭和11年 津嘉山朝勇(長男)、宮里カツと結婚。
- 昭和13年 津嘉山朝勇の長女・京子生まれる。
- 昭和16年 津嘉山朝保、北部酒小売商統制組合長になる。
- 昭和20年4月 名護湾から米軍が上陸し、市街地の建物をほとんど破壊した。(太平洋戦争)
- 昭和20年4月 津嘉山朝保避難先で亡くなる。酒造所は米軍の事務所や避難民の仮住居となる。
- 昭和21年 津嘉山朝勇センチソロモン諸島で戦病死。
- 昭和24年 戦後の製造開始か?
- 昭和33年6月17日 合資会社「津嘉山酒造所」を設立。
- 昭和34年 オリオンビール名護工場落成。
- 昭和41年 津嘉山ツル亡くなる。
- 昭和45年8月1日 名護市誕生
- 昭和47年5月15日 本土復帰
- 昭和51年 沖縄県酒造協同組合結成
- 昭和54年 730交通変更。
- 昭和57年 休業する。
- 平成2年 営業再開準備始める。その際現在の工場長、幸喜が入社。 初めての回転ドラム式を導入。
- 平成3年 9年ぶりに醸造を開始。
- 平成5年 モンドセレクション金賞受賞
- 平成11年 国税局所長賞受賞。
- 平成17年1月29日 「津嘉山酒屋保存の会」発足。
- 平成18年3月2日 登録有形化財文になる。
- 平成21年6月30日 国指定重要文化財に登録される。
この年表から分かるとおり津嘉山酒造所の歴史はとても古く、なんと名護市ができる40年前にはすでに津嘉山酒造所はあったのです。
分りやすく年齢に換算すると、津嘉山酒造所は85歳。
「そんな古くないじゃん!!」と思うかもしれませんが、太平洋戦争で他の酒造所は全て破壊されたので、津嘉山酒造所は戦前の建物が唯一残った酒造所として歴史的資料としての価値がとても高いのです。
施設も見せてもらった
酒造所の中を案内して頂きました。施設には歴史を感じさせるものが今でもかなり残されているようです。
- 創業当初から使われているカメ。(現役)
- 年季が入ったボイラー(現役)
- 洗米に使われていた流し。
- 今もあまり形は変わらない当時の水タンク
- 以前使われていた井戸もありました。(西井戸)
- こちらは南井戸
そして下の写真をご覧ください。
津嘉山酒造の建物は、昭和20年頃は米軍の事務所として利用されていたそうで、その痕跡がまだ残っているのです。
こちらに書かれた文字は OFFICERS QUARTERS(従業員宿舎)。
歴史を感じますね!
OFFICERS QUARTERS として使われていた部屋の現在のようす。
矢印のところは漆喰が塗られていて、私の祖母曰く「当時の家はほとんどが茅葺き屋根の簡単な家で、津嘉山酒造所は相当立派な建物だったよ」とのこと。
トイレ
家の中にトイレが設置されているのは当時としては珍しかったのだそうです。
(このトイレは米軍が利用していた時に設置されたと言われいてます。)
玄関があった場所
太平洋戦争直後までは普通の家屋はヒンプンという目隠しの塀があるだけという形が一般的で、玄関のある家は珍しかったのだそうです。
※現在は板で塞いで倉庫として使われていました。
庭に池もあり、豪華な家だったことがわかりますね。
また、池の形が沖縄本島に似ていて「沖縄本島を型どった?」とも言われています。
大事な建物が壊されている
奥に進んで麹屋に行くと。
∑(゚Д゚)!?
壊してますよ!!壊してますよ!!
(パニックになる私を横目に冷静な大城さんは)
「・・・いやいや落ち着いて」
「平成21年6月30日に国指定重要文化財に登録されたので現在修復作業中なんですよ。
建物の老朽化が進みこのままでは危険なので、今は麹屋の修復作業をしていて、次に主屋の方も修復作業を行う予定です。修復は1枚1枚板や瓦を外して洗浄し、また元の形に復元するんだよ。」
と、大人な対応で教えてくれました。
奥のほうでは建築会社の方々が前かがみになりながら丁寧に汚れを落としていました。
国指定重要文化財に登録された5つの理由
津嘉山酒造が重要文化財に登録されたのは以下のような理由からだそうです。
1.主屋
多くの建物を消失させた沖縄戦において、戦前から存在する貴重な赤瓦木造建造物。主家の座敷飾りは壁に組み込まれており、伝統的な沖縄の住宅にはないつくり。昭和初期の建築史の移り変わりを知る上で重要な建造物です。
2.麹屋
県内で唯一主屋と麹屋が隣接している建物であり、今では希少な近代泡盛工場施設です。
3.正門及び外壁
アーチ型に取り付けられた鉄材や、柱の頭のデザインなどから、洋風建築導入期の門構えの姿を知る上で貴重とされています。
4.門及び内壁
3.と同じく、洋風建築導入期の門構えの姿を知る上で貴重とされています。
5.南井戸
琉球石灰岩の切石でつくられており、洗い場と池の噴水に水を供給するためのタンクがついている。過去の生活様式を知るうえで貴重だとされています。
※国指定文化財等データベースより引用
実際造っているお酒を見せてもらった
こちらが津嘉山酒造所のお酒「國華」
(飲みたい!!)
津嘉山酒造所では「國華」という銘柄1本を大切に製造しています。
(説明が頭に入らない・・・飲みたい!!)
こちらは一般用に公開されている紙芝居、見学に行ったら見せてもらえます。
(國華がもの凄く飲みたい・・・)
(飲みたいけど・・言えない・・・)
(今度お店で買って飲もう・・・)
(飲みたかった・・・)
まとめ
今回、実家の近くに歴史的価値のある津嘉山酒造所があることを知って、とても感動とワクワクの取材をすることが出来ました。
地元の歴史を知って受け継いでいくってとても大切な事なんですね。
定期的にコンサートなどのイベントも行われているとの事で、こんど実家に帰りがてら遊びに行ってみたいと思います。
見学も受け付けているとのことですので、皆さんも一度津嘉山酒造所を訪れてみてはいかがでしょうか。
津嘉山酒造所サイト
見学受付は毎日10時〜16時(土日祝日も可)。
※12時〜13時の昼休みは除く
※土日祝日は業務は行なっていないため施設見学のみ受付
※作業の関係上、酒造所内すべてをご案内できない場合があります。
予約して行かれることをおすすめします。
泡盛の製造工程を詳しく知りたい方は泡盛蔵探訪シリーズ第一回目をご覧下さい。
今回取材に協力してくださった、津嘉山酒造所の大城宜実さん、文化財建造物保存技術協会の渡辺幸夫さん本当にありがとうございました。
※今回津嘉山酒造所を知るうえで、名護の歴史文化、沖縄の建築史、泡盛の歴史と製造方法など知らなければいけないことが沢山ありました。
説明不足の箇所もありますが、どうかご了承下さい。
これからも引き続き調べていきたいと思います。