- DEEokinawaトップ
- 特集
- そうだ。あるいて中城城へ行こう。
そうだ。あるいて中城城へ行こう。
中城村ハンタ道
中城村の南上原(みなみうえばる)はここ数年でかなり開けてきた新興住宅街である。この南上原にあるサンエーにはすぐ近くに夜景の綺麗な橋がかかっている。
(東太陽橋[あがりてぃだばし]というらしい。)
この橋だが、サンエーの付属品だと思っていたのだが、中城村が作ったものらしく、その遊歩道はずっと中城城址まで続いているという。
付近の案内板を見ると、もともとこの道は首里城から勝連城までを結ぶ「中頭郡東海道」の一部で、中城では崖沿いにある道なので通称「ハンタ道」(ハンタは崖の意味)というらしい。
というわけでせっかくGWなのでこのハンタ道を通って中城城址まで行ってみた。
延々続く遊歩道
それでは延々歩く、中城城址への旅へ出かけよう。
より大きな地図で 中城村ハンタ道 その1 を表示
しばらくは住宅街沿いの遊歩道を歩く。基本的にはきちんと整備された道なので迷うこともなく一本道が続いていく。
しばらく歩くと山道に。しかし、高いところからみると遥か彼方まで道が続いているのが見える。
道のポイントポイントには案内板があり、説明書きが書いてある。上の写真は「キシマコノ嶽」。この周辺は中城村の奥間集落の発祥の地で、井戸や拝所(沖縄の拜みポイント)が残っているのだとか。
この御嶽(うたき:これも拜みポイント)は琉球国由来記という歴史書に名前が残っていて名前が「キシマコノ嶽」、イベ(ご神体的な物)は「天次アマツギノ御イベ」だそうだ。
御嶽まで行こうと思ったが、明らかに山道なので、断念。
中城名物「ペリーの旗立岩」を目指す
と、ここまでが約30分である。
より大きな地図で 中城村ハンタ道 その1 を表示
すごく軽い気持ちで来てしまったが、めちゃめちゃ遠い。中城城址。しかし、もう進むも地獄、戻るも地獄である。がんばって中城城址まで歩いていくことにする。
気を取りなおして後半戦行ってみよう!
途中で地元の方に「なにしてるの?」と声をかけられ、しばらく一緒に道を歩くことに。話によればこのハンタ道(歴史の道ともいうらしい)は確かに中城に通じてはいるが、実際にこの道を通って中城に行ったことはないとのこと。
そもそもこうやって歩いている人を見ること自体が稀だとか。
そうこうしているうちに、ついに舗装されていた道が、道なきケモノ道に。
上の地図で確認して欲しいが、このあたりはまさに山の中。ここには新垣集落と新垣グスクがあったらしい。集落跡を通って新垣グスクを目指すと
これが新垣グスクである。…なんだろう。地味なグスクである。
そしてしばらく歩くと
「ペリーの旗立岩」に到着。
このペリーの旗立岩は1853年ペリーが沖縄に来たときに星条旗を立てたという岩である。中城村の指定史跡になっている。こりゃすげぇ!って思ったんですが
単なる山でした(そりゃそうか)。
いよいよラストスパート
と、ここまでが約1時間である。
より大きな地図で 中城村ハンタ道 その1 を表示
行けども行けども中城城址は見えてこないが、着実に近づいてきている(はずである)。
ペリーがの旗立岩からオーシャンキャッスルというゴルフ場近辺に。もともとの道はゴルフ場を突っ切って通っていたらしいが、今はゴルフ場を迂回するように道が通っている。
ゴルフ場を抜けると再び山道に。
このあたりはあちこちに古い墓とかがあって若干怖い。
そうこうしているうちに、建物が見えてきた。これは中城の有名な廃墟通称「チャイナタウン」「高原ホテル」である。
せっかくなので廃墟も見て回りたいのだが、「廃墟(高原ホテル跡)はH17年9月から使用不可、一切の立ち入り厳禁」らしい。残念。
廃墟を通ると、いよいよゴールが見えてきた。中城城址に到着である!
ここが終点!終点の看板には
(えー!)
「歴史の道(ハンタ道迂回路)は、ここが終点です。ここから先は、中城城址の管理地になりますので、進まれる方は観史料を料金所にてお支払いください」
なんだろう。せっかくゴールしたのにすごく残念な感じでした。
総時間1時間半の中城城址への旅
というわけで、ひたすら歩いた1時間半の旅でしたがいかがだったでしょうか。
ちなみにGWということで中城城址公園でなにかイベントがあったようですが、あまりに疲れていたのでそのまま帰りました。
この中城ハンタ道の元になった「中頭郡方東海道」は勝連城−首里城までの道らしいので今度は首里城方面か勝連城方面に歩いてみたいと思います。ハイキングというよりはサバイバルな感じですが、是非体力に自信がある方はハンタ道に挑戦してみてください。