沖縄の屋上から vol.5 電波堂ビル

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街に数多あれどもなかなか立ち入ることができない場所である「屋上」。沖縄の屋上には何があるか。そしてそこから見える風景はいったいどのようなものなのか。第5回は取り壊しが始まる久茂地の電波堂ビルからお届けします。

街に数多あれどもなかなか立ち入ることができない場所である「屋上」。たまにモノレールから見える沖縄の家々の屋上を見ているとものすごく緑が茂っている屋上やなんだかよく分からないものが置いてある屋上、洗濯物がはためく屋上など様々な生活の断片みたいなものを垣間見ることができます。

沖縄の屋上には何があるのでしょうか。そしてそこから見える風景はいったいどのようなものなのでしょうか。DEEokinawaでは屋上を巡る旅を続けています。

過去の記事はこちら
沖縄の屋上から vol.1 ちとせ商店街ビル
沖縄の屋上から vol.2 ノボテル沖縄那覇
沖縄の屋上から vol.3 那覇市牧志第一公設市場
沖縄の屋上から vol.4 沖縄市コザ銀天街 -前編-
沖縄の屋上から vol.4 沖縄市コザ銀天街 -後編-

取り壊しが決まった電波堂ビルとスペースアートビル

今回の舞台は那覇市久茂地にある電波堂ビルとその隣のスペースアートビル。実は建物の老朽化のため、今月から取り壊しが始まります。


よく見ると壁に「本店」の文字がある

建物的にはスペースアートビルの方が古くて、作られたのは1963年のこと。ビルを建てたのは新川唯介(しんかわ ただすけ)さんでソニーの代理店を営んでいました。スペースアートビルはかつて「電波堂本店」として家電の小売をしており、Xでも「ステレオを見に行った」みたいなことを言っている方がいらっしゃいました。

新川さんはその後、1974年に隣に電波堂ビルを建設して貸しビル業を始めます。電波堂ビルは沖縄県初の立体駐車場を備えたビルだったのだとか。1987年にはスペースアートビルの2階に県民アートギャラリー、3階にギャラリー&ホールのスペースアートを開きます。

また、新川さんと言えば忘れてはいけないのは県内に残るソニー坊や像を建てた人だということ。詳しい経緯については

ソニー坊やの謎に迫る
ソニー坊やの謎に迫る、おかわり

についても読んでみてください。そしてソニー坊やの記事で出てくる新川唯介のお孫さんである紀々さんにお声がけ頂いて、今回の建物探方が実現しました。ありがとうございます…!

 

スペースアートビル(旧電波堂本店)

まずはかつて電波堂本店だったスペースアートビルから見てきましょう。建物は3階建てで1階は居酒屋、2階はカラオケ、3階は紀々さんが運営するイベントスペース「電波堂劇場」として利用されていました。

まだ結構ものがある
ソニースポットの張り紙

こちらは1階の居酒屋の裏側の部屋。まだ雑多にものがありますが、かつて家電の小売りをしていたであろう名残がありました。

大型の業務用エレベーターが残っていてこのあたりにもちょっと痕跡を感じます。

Xのポストを見ると2階のカラオケ屋さんにも思い入れがあった人が多くいた模様。

そして3階は電波堂劇場、かつてのスペースアートです。前にソニー坊やの取材で行ったときはグランドピアノがあったのですが、そちらの搬出も終わったそうでほぼ何も無い状態です。

スペースアートのパンフレットによれば、プロ・アマ問わず使える貸しホール兼ギャラリーだったそうでピアノや音響、プロジェクターなども完備されている施設だったとのこと。

ホールの扉にもあしらわれている意匠はSとAを組み合わせたもので、新川さんのデザインなのだそうです。

さて、いよいよ屋上です。

屋上でまず目を引くのはスペースアートのロゴと文字。

旗を掲揚するためのポールもありました。

昔の写真を見せて頂いたのですが、当時は日本国旗、沖縄県旗、そしてスペースアートの旗が掲揚されていたようです。

屋上から見える景色です。久茂地川とモノレールの線路がすぐ目の前に見え、久茂地の街が広がります。だいたいモノレールの線路と同じ高さくらいなのでモノレールの車窓からの景色に近いかもしれません。

こちらは電波堂ビル側。「電波堂ビル」の文字がぐっと近く見えます。

 

電波堂ビル

続いては1974年に建てられたお隣の電波堂ビルを見ていきましょう。

こちらは10階建てで各フロアにテナントが入る商業ビルでした。

電波堂ビルができた当時のパンフレットも見せて頂いたのですが

当時の最先端を詰め込んだオフィスビルだったようです。

今は残っていませんが週刊誌、ハンカチ、サンドウィッチなどの自動販売機が設置されたカフェテリアなんてものもあったらしいです。

ビルには機械式の立体駐車場が併設されています。先にも述べたとおり沖縄で一番最初の立体駐車場なのだそうで、なかなかに年期を感じます。

テナントが入っていた部屋はこんな感じ。

空調の調整スイッチみたいなやつがあったんですが、何をどう操作していいのかよく分からない形をしていました。

5階にはビルを管理していた株式会社新企業があったのですが

各階の電話の交換機がありました。かつては交換手がビルにかかってきた電話を各テナントに繋いでいたそうで、これも商業ビルでは沖縄初だったのではないかということです。

こちらはかつての社長室。もう金庫くらいしか残っていませんでした。

このまま屋上に行きたいところですが、もうしばらくお付き合いください。実は電波堂ビルには地下があるのです。

地下1階はかつて「レストランうらしま」という飲食店が入っていたそうです(今は那覇市久米に移転?)。

かなり前には移転したようですが、内装はそのまま残されていました。

パンフレットには営業当時の写真が掲載されていました。残された内装から舞台を見られる沖縄料理店、みたいなものを想像していたのですが洋食も楽しめるレストランだったようです。

こちらは舞台裏の厨房跡。かなり広いです。

さらに地下2階は機械室。館内のクーラーなどはこちらで一括で管理さているのだそうです。

何かの機械のマニュアル。地下2階にはトイレとシャワー設備もあり、恐らく誰かが常駐してここにいた時代もあったのではないでしょうか。発電機なんかもありました。

ドコモのFOMAが使えるプレートが置いてありました。

他にも1階には銀行が入っていたため、金庫が残っていたり、電気メーターの位置がちょっと変わっていたりと色々面白い箇所があったのですがそろそろ屋上へ向かいましょう。

こちらが電波堂ビルの屋上からの展望です。電波堂ビルは北東側と南西側の2箇所に屋上があり、こちらは北東側の屋上。

パンフレットによれば屋上にはかつてゴルフ練習場があったらしいのですがそんな痕跡は全然ありませんでした。

スペースアートビルからの眺めもよかったですが、電波堂ビルかららはモノレール、久茂地川を眼下に見下ろせます。

ここからだと久茂地小学校跡にできた劇場、なはーとも建物全体をよく見ることができます。奥の方には沖縄県庁も見えますね。さらに写真の右にはコクバビルが見えるのですが、昔久茂地で高いビルといえばこの電波堂ビルとコクバビルくらいしかなかったそうです。今ではオフィスビルが建ち並ぶ一等地なのできっとここから見える景色もかなり変わったのだと思います。

南西側の屋上にも行ってみましょう。

こちらからも久茂地の街が見渡せます。

まだ周囲に高いビルが無かった頃はかなり遠くまで見渡せたのだろうなと思います。

先ほど上ったスペースアートビルの屋上は見下ろすとこんな感じ。

屋上までビルの側面に伸びている非常階段をつかって「電波堂ビル」の文字も近くで見られました。間近で見ると迫力がすごい…!

というわけで、本日は1963年に建てられたスペースアートビル、1974年に建てられた電波堂ビルの屋上よりお届けしました。建物が取り壊された後、跡地がどうなるのかはまだ未定だそうですがかつては久茂地のランドマーク的な建物だったビルが無くなってしまうのは寂しい気がします。
屋上からの最後の景色をここに残しておこうと思います。

ここから見た景色はこれからどのように変わっていくのでしょうか。またいつか別の場所で久茂地の街を見渡してみようと思います。

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