古写真の場所は特定できるのか vol.3

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
読者の方から送られてきた沖縄のどこかの古写真。いったいどこの風景なのでしょうか?皆さんのお知恵を拝借しながら場所を特定していく連載3回目です。

ある日DEEokinawa編集部に送られてきた17枚の古写真の場所はどこなのか、皆さんのお知恵を拝借しながら場所を探す企画。

これまでの連載はこちらをご覧下さい。
1回目
2回目

そしてこれまでに特定できた、あるはそうでなかろうかという場所が分かった写真にはキャプションをいれています。今のところ17枚のうち5枚の場所を特定しています。

#01 ホワイトビーチからの風景(うるま市勝連平敷屋)
#02 ホワイトビーチから金武方面?(うるま市勝連平敷屋)
#03
#04
#05
#06 ひめゆりの塔(糸満市字伊原)
#07
#08 島守の塔(糸満市摩文仁)
#09
#10
#11
#12
#13
#14
#15 牧志公設市場(那覇市牧志)
#16
#17

徐々に明らかになっていく古写真の場所ですが、実は1回目の記事にめちゃめちゃ沢山コメントを頂いておりまして、それを順次消化している状態です。そろそろ特定できる場所がなくなった来たようにも思えますが、引き続きみなさんのコメントから古写真の現在の場所を探していきたいと思います。

 

#10

3回目の最初は#10の写真。ボートを10人がかりで運んでいます。全員外人さんなのでアメリカ軍のなにかでしょうか。

♯10の写真の防波堤の形状から(現存しています)は旧勝連町南風原(ホワイトビーチ付近)ではないかと推測いたします。
泡瀬(州崎)が埋め立てられ、すでに防波堤としての機能はしてないですがお写真の石積みは浜屋漁港のあたりにて現認できるかと思います。(確信はないので違ってたらごめんなさい)

写真の石積みはまだ浜屋漁港あたりに現存している。

まずはそれを確かめに行ってみました。

いざ浜屋漁港へ!と思い立ったのですが、肝心の「浜屋漁港」が検索ではでてこず。とりあえず「浜屋漁港」で検索すると真っ先に出てくるうるま市の南原漁港に行ってみました。

漁港内でウロウロと石積みを探します。見た感じは古写真の面影は全くありません。漁港を間違えているのかもしれない…と思ったその時です。

あ…!

これのことでしょうか。

確かに石の積まれ方はよく似ている気がします(でもちょっと隙間がある)。携帯で写真を見比べながら探した時にはおおお!と興奮したのですが、冷静に写真を見比べて見ると全く同じものとは言えないかもしれません(そもそも僕が場所を間違えている可能性がある)。

この石の積まれ方が独特なものなのかも判別が付かないので、もう少し調べてみますが、一旦保留にしておこうと思います。写真の護岸について詳しい情報をお持ちの方がいらっしゃったらご一報ください。

 

#16

続いて#16の写真についてです。かなり広い道、かつきちんと舗装された道に車が停まっています。

#16の写真は西原町のハートライフ病院付近と思います。奥に見える島は津堅島かと。
ハートライフ病院前の329号線から中城方面に下ると、津堅島を見渡せるのが印象的なので、おそらくその付近かと思いました。
観光地ではないと思いますが、おそらく右側の丘から知念半島が見渡せたのではないでしょうか。女性二人は道路を渡ってその丘に行ったのかもしれないですね。

ハートライフ病院あたりは西原町と中城村の境目くらい、329号線沿い。早速行ってみましょう。

ハートライフ病院あたりにやってきました。

こちらからうるま市側をみた風景はこちら。

古写真
ハートライフ病院周辺

道の反対側から撮っちゃったのでちょっと構図がおかしなことになってますが、それっぽい写真といえばそれっぽい。今の写真の構図だと海の向こうには勝連半島が見えています。割と島影は似ているような気もしますがいかがでしょうか。

場所については

ハートライフ前だともっと下り坂がきつい気がします。
また、写真からだと中城に続く道も見えず、海までの距離も近いかと。
瀬長島とか雰囲気似てないでしょうか。

という意見もありました。確かに海までの距離は古写真がぐっと近い気もします。瀬長あたりでも場所を探してみたいと思います。

 

ちなみに#16の写真にはいつくか気になるものが写っています。

写真にの家屋には天水タンクらしきものが写っています。最近気づいたのですが、井戸が各戸にある集落では天水タンクが無いことが多いです。これだけで地域を絞り込むことはできませんが、ハートライフ病院周辺の集落も結構天水タンクを使っているのは確認できました。

あとは道の途中に石が積み上げられた向こうに、よくわからないけど碑みたいなものがあります。これはなんでしょうか。このあたりがヒントになるのかもしれないと思いました。

ちなみに写真に写った車ですが

#16の自動車は1941年型のシボレーですね。ひどく古びているという感じでもないので、やはり1950年前後の写真でしょうか。ただ島守の塔の痛み具合を見るともっと後の時代の撮影のようにも思えます。

年式をコメントされた方がいらっしゃいました。すごい!

 

#04

#04の写真については小さく書かれている文字について

#04 飲食店營業の左側の行には、はっきりしませんが「(前四文字)金武村屋嘉(後三文字)」と書いてあるようにも見えます。屋嘉には日本軍捕虜収容所があったそうですが(Wikipedia)、その建物と関係あるかも。

というコメントが。

たしかにめちゃめちゃ見にくいのですが、飲食営業の左側に「金武」「屋嘉」の文字が見えます。

そしてコメントの通り、かつて屋嘉には第二次世界大戦中に投降した日本軍将校7千人を収容した捕虜収容所があったそうです。「日本軍屋嘉浦捕虜収容所跡の碑」という碑も立っているし、収容所の悲哀は「屋嘉節」という歌でも歌われました。屋嘉節は空き缶で作ったカンカラ三線で歌われたといい、屋嘉地区のマンホールのモチーフにもなっています。

全然場所は特定できていないのですが、博物館などでも聞いてみたいと思います。

 

#10,#12

#12の三輪のタクシーが写った写真。以下のような情報をもらいました。

三輪トラックのタクシーは1950年代の一時期しか沖縄で運用されてないと思います。
当時パタパターと言われていて、運転手は花形職業でした。
私の推定では50年代の撮影のものと思われますが...
撮影されている自動車のナンバープレートを調べれば少なくとも撮影された年代は特定できると思います。

また#10について

#09の建築中の建物、建材を運んで来たであろうトラックにはTAXI許可、沖1080と読めます、当時はトラック荷台で人を運んでいたのでしょう、凄い写真ですね。

とりあえずナンバープレートから何かが分かりそうです(しかしどこを調べればよいのか)。どこに当たったらよいのかご存じの方がいらっしゃったら教えて下さい…!

そして#09の建設中の建物ですが、県内の映画サークル、「シネマラボ突貫小僧」の當間早志さんが映画館に違いないと書かれています(映画放浪記 : 映画館調査が高じて沖縄の古写真を分析)。どなたかこの映画館、情報ご存じないでしょうか。他にも色々と當間さんは場所を特定されているので、今度話を聞いてこようとおもいます。

 

続きます

というわけで今回も引き続き、皆さんのコメントから現在の場所を探したり、頂いた情報を紹介いたしました。だんだん「ここだ!」という場所は無くなってきたのですが、引き続き皆様からの情報をお待ちしております。

とりあえず本日はここまで!次回をご期待ください!

関連する記事

フォローしたらいいことあるかもよ

DEEokinawaの新着記事や裏話、面白写真などが毎日届くかもしれません。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

Copyright©DEEokinawa All Rights Reserved.
このウェブサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。すべての著作権はDEEokinawaに帰属します。

ページのトップへ