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そろそろ消えゆくセメント瓦について
沖縄を歩いていると各所でセメント瓦葺きの家を見ることができます。
なんでもセメント瓦の最初は名護市でもともとは台湾から導入された「南国耐風瓦」が最初だとされているようです。本格的にセメント瓦が普及したのは戦後。政府がガリオア援助で「復興瓦」として工場の規模に応じた製造枚数で業者を支援したことで「セメント瓦は儲かる」という話になって沖縄全域に広がっていったのだそうです(宮古とかにも工場があったらしい)。
そんなセメント瓦ですが、1959年に琉球セメントが創立、1965年からセメントが出荷されるようになると鉄筋コンクリート造りの家が普及して衰退していったのだそうです。現在県内に残るセメント瓦工場は1箇所。そう近くない未来、セメント瓦は完全に沖縄から姿を消してしまうのではないでしょうか。
ところで、セメント瓦といえば特長的なのは鬼瓦部分。以前に奥集落の屋根瓦コレクションという記事でも紹介されていますが、この鬼瓦部分はセメント瓦の工場や職人さんによってデザインが異なっているらしく色々なものを見る事ができます。
今回はセメント瓦について鬼瓦部分のデザインのバリエーションを紹介しつつ、消えゆくセメント瓦について考えてみようと思います。
文字型
まずは鬼瓦部分がなにがしかの文字になっているもの。
「天」でしょうか。天にしては下の棒が長いので模様な気もしますが。
「コ」。この瓦を撮影したのが沖縄市だったので「コザ」の「コ」だったりするのかなと思ってます。
「共」。漢字の下の模様が割と和風だなと思いました。
「マ」。資料を当たっていくと「マルマ」というセメント瓦業者が名護市大西にあったらしいです。恐らくそこが製造したやつなんじゃないかと思います。
こちらは「H」。現在唯一残っているセメント瓦工場が比嘉セメント瓦工場なのでそこのやつなのでしょうか。いつかインタビューなりして聞いてみたいです。
「ト」。カタカナだとちょっとコミカルでかわいい。
「T」。ひょっとしたらTじゃなくて模様な可能性もありますが。ベンツっぽい。
「吾」でしょうか「君」でしょうか。
文字系にはアルファベット、漢字、カタカナが存在していて恐らく瓦の製造工場の頭文字を取ったものだと思われます(会社のロゴが頭文字?)。ということはセメント瓦工場を調べていけば特定できたりするのかなと思っています。
模様系
続いては文字ではなく模様の瓦。
桜っぽい意匠。そして今まであんまり触れてなかったのですが鬼瓦下の小さな丸い部分のデザインも実は結構違ってます。
この模様をなんと表現しましょうか。東映の映画の始まりの光みたいな意匠です。
曲線のデザイン。こっちは小さいほうが桜みたいなデザインです。
星。なんかアメリカンな感じもしないでもない。
形容しがたき意匠。小さい方は「AZ」みたいにも見えます。
結構よく見る三つ巴。
セメント瓦について
というわけでセメント瓦についてなのですが、冒頭の歴史的な話含めて名護市の博物館が発行している「第19回 名護博物館企画展 沖縄のセメント瓦 名護からの発信」という冊子によくまとまっています。しかし、どの瓦がどの工場で作られたという情報は載っていなくて鬼瓦の模様についてはきっともっと種類もあって奥が深いのだろうなぁと思います。
セメント瓦が葺かれた家はどんどんこれから無くなっていくとは思うのですが、DEEokinawaでは鬼瓦部分のデザインの収集と可能であればいつくらいの時代にどこでつくられたのかみたいな事を調べていこうと思っています(そういうのが分かると街歩きがぐっと楽しくなりますよね)。
というわけで、他にもこんなセメント瓦があるよ、とかこのセメント瓦はこの工場で作られてたらしいよ、みたいな情報をお持ちの方がいらっしゃったらぜひ編集部にご一報くださいませ。
そして、普段何気なく見ていたという人も鬼側部分のデザイン、確認してみてください。何か面白い発見があるかもしれませんよ。