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飛び安里の飛行機レプリカが南風原町役場にある
飛び安里とは?
まずは飛び安里の偉業をご紹介します。
『沖縄大百科事典』によると
1933年の7月31日の『朝日新聞』に「越来村胡屋の安里家4代の祖が弾力を利用し、支柱に仕掛けられた弓矢につばさをつけ、これを足で上下に動かして飛行する装置を考案。泡瀬の海に面した断崖から飛行実験し成功した」という記事が掲載されているという。そこから1800年前後の人と推測されるが、飛行実験で世間を騒がせたとして王府から逮捕されたり、のちに火薬の調合を研究して火花師安里とも呼ばれ、その功で士族になったという。大正の頃までは飛行実験に使った道具も残されていたとされる。実験は津嘉山で行われ、高く昇ったが排水溝に落ちたという話もあり、王府時代に人体飛行を試みた先駆者として地元ではいまも伝承されている。
沖縄大百科事典 1983年-沖縄タイムス社刊
排水溝に落ちた!
また『沖縄おもしろ雑科』にも
彼が作った飛行体は、翼につながれた弦を足でこいで、羽ばたかせるというもの。形は現在のハングライダーのようなもので、タコのように命綱がついていたという。伝説によると、最初の飛行実験は南風原町津嘉山の「メーヌモー(前の毛) 」とよばれる高台で行なわれたらしい。(中略)大正のごろまで、安里家には、飛行体の図面や、実験に使った道具などが残されていたが、白アリの被害にあってやむなく焼却されたという。
沖縄おもしろ雑科 「日本で最初に空を飛んだ人は 沖縄人である!」1990年-創光出版
シロアリ!
余談が気になってしまいますが、ライト兄弟が初フライトに成功したのが1903年。飛び安里は1800年前後の人と推測されているので、ライト兄弟よりも100年前に空を飛んだことになります。すごいですね。
南風原町役場に飛び安里の飛行機のレプリカがある
飛行実験が行われていたのが南風原の津嘉山(最初に飛行に成功したのも津嘉山という説もある)なので、南風原町では飛び安里推しです。
南風原町の高速道路標識はおそらく飛び安里。
『高速道路の標識コンプリート』より
南風原町役場には南風原町の町おこしグループ「すきです南風原・夢・未来委員会」が作ったという飛行機のレプリカが置いてあります。
実物の1/2サイズらしい
また「すきです南風原・夢・未来委員会」は1999年に作った実際のサイズの飛行機では有人飛行に成功しているとか。
飛んでいる
ロマンですね。
ちなみに実験が行われていた津嘉山の高津嘉山の山の上には飛び安里初飛翔記念碑が建っているのですが、ここ数年は工事などが行われていて今でも立ち入れるのかは不明です。