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沖縄風景今昔 vol.8 壺屋やちむん通り
過去にDEEokinawaでは古写真と現在の風景を比べるという記事を何度か公開してきました。
【復帰40周年特集】古写真で見る過去と現在の沖縄の姿
100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その1)
100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その2)
沖縄風景今昔 vol.1
沖縄風景今昔 vol.2
沖縄風景今昔 vol.3
沖縄風景今昔 vol.4 平和通り
沖縄風景今昔 vol.5 市場本通り
沖縄風景今昔 vol.6 むつみ橋通り
沖縄風景今昔 vol.7 市場中央通り
風景今昔として8回目の今回は、那覇の壺屋やちむん通りに迫ってみたいと思います。
壺屋やちむん通り
壺屋の登り窯
撮影日時:戦後 / 所有者:那覇市歴史博物館
平和通りか側の壺屋やちむん通り入り口から南窯(ふぇーぬかま)方向を撮影しています。
南窯(ふぇーぬかま)は今でもあるので、古写真だけでも撮影場所がわかる方も多いのではないでしょうか。
カラーで道路がアスファルトならば最近の写真といってもいけそうな写真です。
今回は45年ほど前からやちむん通りでお店を構える新垣さんにお話を伺いました。
壺屋やちむん通りの今昔インタビュー
陶美館
新垣 紀美江さん(67歳)
戦前は今の公設市場一帯は畑が広がっていたと聞いています。しかし戦争で、人々は何もかも失ってしまったので、まずは食事をするための器が必要だったんです。それで捕虜施設から登り窯が残っている壺屋の人が先に帰されたそうです。人がいたら生活が生まれますよね。
この壺屋の地を中心にしてひめゆり通りや平和通りにお店が出来て街が広がっていったんです。
わたしが商売を始めたのが45年前ですが、その頃はこの通りの道幅は1mぐらいでした。通りというより、住宅地の中の脇道だったんです。
40年ほど前に壺屋陶器事業協同組合ができたことで、お店が集まってきて徐々に今のような大きな通りになりました。最初はお店も数軒しかなかったですし、いまとは全然違います。
組合の場所は建物が建つ前は広場でした。やちむんを焼くときに使う薪を持ってきて乾かしたり切ったりという作業をしていたんです。今でも建物の隣にガジュマルが1本残ってます。
写真の登り窯は南窯(ふぇーぬかま)ですね。今はその手前が駐車場になっているんですが、60年ほど前はバスセンターでした。その周りには荷車屋さんがたくさんいて、平和通りで買い物をした人が荷車に荷物を乗せてもらって家まで運んでもらうという商売もあったんですよ。
沖縄は復帰があったでしょう。復帰の後はすごかったですよ。内地からたくさんの人が来て「あら、これが沖縄の焼き物なのね」「やちむん、っていうのね」と言って目を輝かせていました。沖縄にしかないものが多いですから。ドル時代は地元の人と米兵、復帰後は内地からの観光客、いまは若者が多いです。通りを歩く人が変われば、作られるやちむんにも変化が出ています。それは見ていてとても面白いですね。
写真からは思いもよりませんでしたが、40年前までは現在のやちむん通りのほとんどは幅1mぐらいしかない脇道だったそうです。
また、戦後は那覇市内の多くが立ち入りを禁止されている中で、登り窯が残っているという理由で壺屋が最初に解放されて人が帰ってきて、その後平和通りや国際通りが発展していくという歴史もとても興味深いです。
写真だけではわからないことを教えていただきありがとうございました。
ひやみかちマチグヮー館で今昔写真展やっています
来年2/29まで牧志公設市場衣料部2Fにある「ひやみかちマチグヮー館」で、DEEokinawaが撮影/取材で協力した公設市場周辺の通りの今昔写真展が開催されています。今回紹介した通りも含めて6つの通りの今昔写真とインタビューを展示していますよ。
ひやみかちマチグヮー館では平日のひやみかちゼミ、週末の民謡ライブや沖縄芝居など沖縄の文化に触れられるイベントをたくさんやっています。
ひやみかちマチグヮー館