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沖縄風景今昔 vol.4 平和通り
過去にDEEokinawaでは古写真と現在の風景を比べるという記事を何度か公開してきました。
【復帰40周年特集】古写真で見る過去と現在の沖縄の姿
100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その1)
100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その2)
沖縄風景今昔 vol.1
沖縄風景今昔 vol.2
沖縄風景今昔 vol.3
風景今昔として4回目の今回は、那覇の牧志にある平和通りにぐぐっと迫ってみたいと思います。
平和通り
平和通り
撮影日時:1950年 / 所有者:那覇市歴史博物館
平和通りを国際通り方面から撮影。
古写真の右手前に写っている「HEIWA DEPT(平和デパート)」は現在の「ルイ」だそうです。
通りの幅はほとんど変わりませんが、いまは上にアーケードがついているので雰囲気はだいぶ違いますね。
今回は旧平和デパート、現在のルイの社長に昔のお話を伺っています。
戦後から長く賑わってきた平和通りですが、代替わり、店代わりもしているので、昔の姿を知っているのは通りの人でも数えるほどです。
平和通りの今昔インタビュー
婦人衣料 ファッション雑貨 ルイ
平良 武さん(78歳)
「HEIWA DEPT(平和デパート)」ってあるでしょう。これがうちだね。
GIFT&SOUVENIRとして米軍対象のお土産品の専門店を親父がやっていたんだ。
戦後に内地から引き上げて役所の割り当てでこの土地に来た。昭和23年かな。
その前は壺屋のあたりに住んでいて、引っ越すときは僕はまだ小学生で昼は学校に通っていたから、夜に荷物を運んだんだ。公設市場の衣料品部のあたりはまだ沼があって、ホタルがたくさん飛んでいたんだよ。だから夜でも街灯なんかいらないぐらいホタルの光で明るかったんだよ。今じゃ考えられないよね。
最初はそんな風に住むところとして来たんだけど、向こうに市場を作るという計画になっていたみたい。今の公設市場だよね。だから「ああ、この辺りは良くなるんだろうな」って。でもまだこの辺りは住宅も商店もなくてね。通りの後ろに壊れた水陸両用車があったからよくそこで遊んだよ。今からでは想像つかないでしょう。
それから商売ができるようになっても、琉球政府の貿易庁下で入札システムだったから。入札システムってわかる?何が当たるかわからないんだよ。当たれば、そのものを売る。
だからうちも自転車を売ったり、化粧品を売ったり、いろんなものを売っていたんだ。平和デパートの前の時代だよ。まわりのお店もそんな感じだから、どこで何が売っているかはわからないし、看板と売っているものが違ったり。そんな時代があったんだよ。平和通りがこのあたりで最初に栄えた通りなんだよ。自分では言いにくいけど、この通りが表通りと呼ばれていた。通りはたくさんの人でいつも賑わっていたよ。今ではこっちが裏になってしまったけどね。
昔は地元の人が多かったけど、いまでは観光客が多くて。
本当にこの通りは変わったよね。これからどうなるだろうね。
公設市場の周辺には蛍が飛んでいたとか、入札システム時代は売り物は日ごとに変わったとか、驚くお話ばかりでした。
ひやみかちマチグヮー館で今昔写真展やります
さて、ここで告知です。
5/31〜来年2/29まで、牧志公設市場衣料部2Fにある「ひやみかちマチグヮー館」で、DEEokinawaが撮影/取材で協力した公設市場周辺の通りの今昔写真展が開催されます。まだまだ誠意取材中なんですが、各通りで昔のことを知っている方はもうほとんどおられず、それだけに貴重な話を聞いています。少しでもこの写真展を通して伝えられたらなと思っています!
写真展を見た後に実際の通りに出てみると、景色が違って見えたら本望です。
また、ひやみかちマチグヮー館では今昔写真展以外にもさまざまな企画が催されるようです。
週末の民謡や琉球芸能イベントも見てみたいけど、平日のひやみかちゼミも気になりますね。
「金曜札束勘定法」ってなに!?
ぜひ近くに行ったら立ち寄ってみてくださいませ!