2013.05.09

真珠道を往く(前編)

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琉球王朝時代、首里城から那覇港に通じる軍用道路として使われていた真珠道(まだまみち)。アップダウンの激しい約9kmの道のりを実際に歩いてみました。前編です。

沖縄には『歴史の道』と呼ばれるような古くからの道がいまだ数多く残っています。
当時の石畳や石垣が残っているような分かりやすいものもあれば、道路拡張工事などで今ではまったく面影が無い道もあります。
 

真珠道とは?

そのなかで、今回は『真珠道(まだまみち)』というなんとも美しい名を持つ街道を踏破したいと思います。
真珠道とは、琉球王朝時代の16世紀に作られた首里から那覇港にかけての約9kmの街道であり、有事の際には首里城の軍隊が島尻間切の軍隊と合流し那覇港へ駆けつけた軍用道路。
そのルートは、首里城の敷地内にある守礼門の東南脇にあった石門を起点に、守礼門脇の石門から金城坂(かなぐすくひら/現在の金城町石畳道)、識名坂(しきなひら)、真玉橋(まだんばし)、石火矢橋(いしひやばし)、豊見城城下の東北側、小禄の丘の中腹を通り、那覇港の南側に位置する垣花(かきのはな)の屋良座森城(やらざむいぐしく)にいたるものだったと言われています。

しかしインターネットには真珠道の詳しいルートが分かる情報があまり無く、今回おおいに参考にさせていただいたのは沖縄県立図書館に所蔵されているこちらの文献。

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『沖縄県歴史の道調査報告書 ー真珠道・末吉宮参詣道ー』沖縄県教育委員会 編

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報告書に掲載されていた真珠道の地図をコピーし、GoogleMapで現在の地図と照らし合わせ目印となりそうなポイントを書き込んだオリジナル地図を手に歩いてみたいと思います。

いざ、真珠道!
 

起点である守礼門を出発

まずは真珠道の起点を探すべく守礼門へ。
ちなみに守礼門はつい先日修復作業が終わったばかり。ぴかぴかの朱色が眩しかったです。

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真珠道の起点であった石門(イシジョー)は現在は消失しており詳しい場所はわかりませんでしたが、おそらく守礼門周辺のこのあたり。

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首里杜館北側の芝生広場内には『眞珠湊碑文(まだまみなとひもん)』のレプリカがあり、真珠道がつくられた経緯などが記されています。

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ではいざここから、地図を手に真珠道ウォークスタート!

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せっかくなので歩数も計測。スタート時は3,212歩。
 

島添坂〜金城町石畳道

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まずは観光地としてもおなじみの金城町石畳道へ。ここも真珠道の一部なのです。

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入り口には真珠道の石碑。
ちなみに起点である首里近辺は標高が高く、また道中いくつか川を越えなければならないので、真珠道はかなりアップダウンの激しい道のりなのです。

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沖縄の方言で「坂」は「ビラ」。真珠道、最初の坂は『島添坂(シマシービラ)』です。

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そしておなじみの金城町石畳道へと繋がります。
果てしなく遠くかすんで見える、豊見城から那覇にかけての街並み。果たして最後まで歩ききれるのでしょうか・・・。

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石畳道の途中には真珠道の案内板があります。

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赤マルソウ通りを挟んで下側部分の石畳は、車も往来するため石畳が陥没して少し平たくなっているのです。これプチ知識。
 

識名坂〜繁多川

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石畳道を下りきったところに流れるのは金城川。今は川幅も狭く水量も少ない川ですが、昔はこの川をたくさんの船が往来していたとか。知人から「このあたりには幽霊が出る」と聞いたことがあるのですが、その昔、金城川に身を投げた夫婦の怨念が人魂となってさまよう「識名平の遺念火」という伝承が残されているそうです。ひぃ。

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そしてこの金城川から続く急な登り坂が『識名平(しきなひら)』。
今は普通の舗装道路ですが、かつては識名平も石畳の道で王の別荘である識名園に通じていたそうです。

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識名平を登り切ったところから続く道は『前道(メーミチ)』と呼ばれ、今でもたくさんの井戸や湧き水があります。

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ハンタガー
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ハンタガー全景
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ウフガー(大川)
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ウフガー全景
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チョンチョンガー
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ボージガー(坊主川)

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かつてはその湧き水を利用した泡盛の酒造所や豆腐屋がいくつかあったようです。
今でも繁多川の豆腐といえば有名ですよね。

そういえば繁多川地域はかなり標高が高いのに、これだけ湧き水が豊富というのも不思議。
 

識名〜長田

前道を抜けると、サンエー繁多川店が面した大通りに出て来ました。

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首里からずっとあまり人気の無い静かな道ばかりだったので、ひさしぶりの街の喧騒に包まれなんだか天上から下界に降りてきた気持ちに。

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ほほう、下界では今こういう髪型が流行っているのか・・・。

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再び登り坂にさしかかりしばらく登っていくと、那覇を代表する広い敷地を持つ霊園・識名園に出ました。清明の時期には道路が大渋滞することでも有名ですね。

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ここもまだまだ標高が高いです。目指す那覇港ははるか遠くに・・・。

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いろいろと問題になった識名トンネルの上に出てきました。絶景。

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ここにもかわいらしい日々草の花が咲き乱れる湧き水が。

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那覇上間郵便局前の妙に広いカーブ道
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真和志間切番所跡だそうです

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【沖縄地名しりとり】上間でも登場した『あしんみお嶽』。やはり妙にほのぼのしていますね。

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仲井真の高台からの見晴らし。那覇港はまだまだ遠いな・・・。

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急な坂をどんどん下っていくと沖縄女子短期大学前に出ました。

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ピザパルコ国場店から漂ってくるいい香りを嗅ぎながら、この大きなカーブをさらに下っていきます(ハラヘッタ)。

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ついに国道507号線に出ました!先が見えてきたぞー!

と、ここで記事が長くなりすぎるので続きは来週の [後編] に預けたいと思います。
果たして真珠道を無事踏破できるのか否か!(すでに坂を上り下りしすぎて膝がガクガクだぞ!)

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