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初めての「ジュリ馬祭り」見学記
まずはお勉強から。
といいつつ私自身、まだまだ勉強不足なところが多いので間違えている箇所があるかもしれません。ご容赦ください。
那覇市辻町のこと
その昔、辻町は那覇の花街と言われていました。
花街とはつまり大人の街です。
たくさんの女性たちが遊女として暮らし、彼女たちのことを「ジュリ(尾類)」と呼んだそうです。
ジュリ馬行列のこと
年代は明らかではありませんが、首里の王女が唐の人にさらわれて身を汚され、御殿に帰ることもできず、沖縄婦人を外国人から守るために侍女達とともに遊女となりました。
そして旧正月二十日の首里の親兄弟が「馬勝負」という行事に出席するため御殿から出る日を狙って、王女は遊女達を集め、自ら華やかな行列を催し、離れて暮らす家族との対面の機会を作ろう、ということで始まったそうです。
ジュリ馬行列は辻遊郭の商売繁盛と村々の豊年を祈願したまつりといわれていますが、ジュリとして生きる女性たちには、一人前になった自分の姿を親兄弟に見てもらう年に1度だけの大切なお祭りだったのです。そして多くの見物客に混ざって田舎から出て来たような人が隠れるかのように行列をみていたそうです。
ちなみに行列に参加したジュリの数は3,000人!踊りだけで15キロも続いたそうです。
行列には若い美女で選抜された花形チームがあると思えば、花形を羨ましい目でみる格下のチーム、そして男装役のチームなどなど役割で順番が分けられていたそうです。
そんな女性の色気やら嫉妬やらを含んで3000人が連なって踊り歩いていたとなると、想像しただけで熱気でクラクラしそうですね。
ジュリたちは年に1度の晴れ舞台に演舞だけでなく、衣装・小物・香水・化粧に気合いを入れまくるので、彼女たちがジュリ馬行列に費やす費用で那覇の経済が左右されたとか。
さてさてテキストばかりですが、みなさんついて来られていますか?
こういった背景をを知ったうえでまつりを見ると一層興味深いものです。
いろいろ教えてくれた覆面bears-eyeさんに感謝です。
では、ジュリ馬行列について少し知識を得たところで、さっそく2011年のジュリ馬行列です。
辻の拝所廻り
まずは神人が地域の拝所をめぐり神事を行ないます。
出発
旧暦の行事は平日に重なることも多いせいか、参加できる人は年々減っているそうです。
私を含めパパラッチと化す人の方が多い。
昔は絶対あり得なかっただろう教習車との対面
路上教習でこの集団と出会ったらビビるでしょうね。
最初に到着したのはジュリが亡くなったときに弔ったという家。
中に位牌があります。関係者の人に入って良いと声をかけてもらったのでお邪魔しました。
「あい、どんな順番だった?」と相談する女性たち。
厳かに行なわれる神事が多い中、この会話を耳にしてぐっと親近感。
うーとーとぅ
あーとーとぅ
-
海蔵院
カガンヌウテラ。
どういう意味なんでしょう?
-
なぜか部屋の角にはヌンチャク。
神事には絶対関係ない。
外に出ると、しっかり仕事をするDEEスタッフNaokiの姿が。
こんなに長い望遠で何を撮っているのでしょうか。少し心配です。
この後もジュリたちの共同墓石、生活の井戸があった場所、王女たちが住んでいた小高い丘から首里城に向かって拝みをしました。
今はマンションと駐車場の間の狭小スペースしかない御嶽も、昔は糸満市にある白銀堂くらい大きかったと聞きました。
こんな機会でもないと拝みの場所を知ることもなかったでしょう。
馬がやって来た
このお祭りのメイン「ジュリ馬」です。
ジュリはすでに説明しましたが、なぜ馬なのかおわかりでしょうか。
答えはこの写真を見てもらえばわかります。
馬!
ジュリ馬は京太郎(チョンダラー)が伝えた伝統芸能といわれています。
日本全国に伝承されている春駒踊りを真似て、正月の最後である二十日正月に舞い遊び、残していったそうです。
ジュリ馬はこんな唄を唄いながら舞い踊るのです。
「京の小太郎が作(ちゅく)たんばい やんざい行者(こうしゃ) 馬舞者(んまもた)
みーはーはーとぅー しーちょんちょん しだりかチョンチョン やーチョンチョン ゆいゆいゆいゆい」
傍らでは馬が華やかに舞い踊る中、拝みは続けられます。
3つある祠には辻を開祖したという由来の王女ら3人の名前が記されています。
最後の拝みは「火の神(ヒヌカン)」。
祠の中に「火の神」と見えます。
拝み終わった場所にはジュリ馬が来て奉納演舞をします。
これも映像をどうぞ。
このあと行事を主催している辻新思会の建物の中で奉納演舞が行なわれ、まつりは終了しました。
辻新思会には今回は人不足で行なわれなかったジュリ馬行列のミルクさまや獅子舞も飾られてありました。
続いてほしい
かつて那覇まつり、那覇ハーリーと並ぶ那覇三大祭りの1つとまで言われた「ジュリ馬行列祭り」は一度途絶えたことがあります。それは「売春を助長する儀式」として多くの批判があったからだとか。
しかし遊女がいたからこそ発展した伝統文化も多いと思うのです。金細工の結び指輪や民謡の歌詞などに遊女の姿をみることができます。
2000年に12年振りに復活したときのポスターが辻新思会にありました。
今年はスネー(行列)も行なわれず、なにより昔と比べてすべてが簡素化されたお祭りだったようです。
しかし、規模が小さくても私の心には響くものがありました。
それは辻の人たちの祭りへの誇りであったり、先人たちへの敬意であったのかもしれません。
辻のこと、歴史のことを知りたいという気持ちになったのでした。
文化のひとつに触れると、もっともっと勉強したくなります。
これぞ知れば知るほどラビリンス、沖縄の醍醐味です。
自身も幼い頃に辻に売られ、戦争で辻が焼け落ちた後も料亭「八月十五夜の茶屋(後の「料亭 松の下」)」を立ち上げ、1953年に私費を投じて戦後初めて尾類馬(ジュリ馬)行列を復活させた、上原栄子さんの著書『辻の華』という本があります。
興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか。
最後に。
「今日は女性が中心のお祭りだから」と関係者の男性はずっと後ろに下がってサポート役に徹していたのですが、最後の最後、カチャーシーですべてを持っていったおじいの写真で今日の記事を終わります。
来年もジュリ馬行列を見に行くぞー!