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沖縄風景今昔 vol.10 サンライズ那覇通り
過去にDEEokinawaでは古写真と現在の風景を比べるという記事を何度か公開してきました。
【復帰40周年特集】古写真で見る過去と現在の沖縄の姿
100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その1)
100年以上前の沖縄風景写真の場所は今どうなっているのか(その2)
沖縄風景今昔 vol.1
沖縄風景今昔 vol.2
沖縄風景今昔 vol.3
沖縄風景今昔 vol.4 平和通り
沖縄風景今昔 vol.5 市場本通り
沖縄風景今昔 vol.6 むつみ橋通り
沖縄風景今昔 vol.7 市場中央通り
沖縄風景今昔 vol.8 壺屋やちむん通り
沖縄風景今昔 vol.9 浮島通り
風景今昔として10回目の今回は、那覇のサンライズ那覇通り(新栄通り)に迫ってみたいと思います。
サンライズ那覇通り
サンライズ那覇
撮影日時:戦後 / 所有者:キーストンスタジオ提供 那覇市歴史博物館所蔵
浮島通りから平和通りとやちむん通りの方面に向けて撮影されています。
右側にあるのは丸國デパート。古写真でも「デパート」と描かれている幕が張られているのがわかるでしょうか。
今回は丸國デパートの中でお商売をされている方にお話を伺いました。
サンライズ那覇の今昔インタビュー
丸國デパートの方
お客さんは沖縄の人がメインでした。
30年ぐらい前まではペイデイと言ってアメリカの人がたまに来ていたんです。日本製の変わったものを買いに来ていました。いまでは全然来ないですけどね。私はその時代のドルを両替はしていなかったから外国行ったときに使いましたよ。
40~50年前の話ですが、ここは学生服や衣料品の老舗だから人がたくさん買いに来て、あんまりものが売れて明日売るものがなくなるからって、品物を隠していたと聞いていますよ。翌日用に。それがこの写真の時代かもしれませんね。
50代ぐらいの人までは、昔は盆とか正月は丸國で買い物をするという感じだったと思います。丸國だけでなはく、このあたりは紳士服などが多かったです。今でもえびす通りに紳士服のお店があったりと名残がありますよね。
丸國の中ではみんなお店は一坪ずつで、台の上に商品を並べてひざまずきして売っていましたよ。昔は全部が衣料品店で二階も店舗でした。復帰前からだんだん少なくなっていて人が引退するごとに、残った人がその場所を借りてお店はどんどん広くなっていってるんですが。
わたしはその時代は知りませんが、戦後すぐの時代に軍の払い下げを持って船に乗って東京に売りに行ったような勇敢なおばさんもいましたよ。生きていたら90 歳ぐらいでしょうか。今とは違いますよ。パスポートもいるし、東京なんか全然知らないはずだから。とっても勇敢な人でしたよ。お店同士が近かったので、そんな話をたくさん聞きました。終戦直後からこの人は商売をやっていたと聞いています。
他には盗んだものを買って売って、何ヶ月か捕まっていた人がいたりとか。あとで聞いて大笑いでしたよ。そんな戦後から強く生きていたおばさんたちから、いろんな話を聞いてとっても楽しいところでした。
お話に出てくるような勇敢なおばさんたちは10年前ぐらいまでは丸國デパートで現役で働いていたそうですが、現在はもう引退されておられませんでした。伝え聞くだけでも、すごく面白い冒険話で、こういう話を聞いて残しておくのは大切だなと改めて思ったのでした。
ひやみかちマチグヮー館で今昔写真展やっています
来年2/29まで牧志公設市場衣料部2Fにある「ひやみかちマチグヮー館」で、DEEokinawaが撮影/取材で協力した公設市場周辺の通りの今昔写真展が開催されています。今回紹介した通りも含めて6つの通りの今昔写真とインタビューを入れ替わりで展示していますよ。
ひやみかちマチグヮー館では平日のひやみかちゼミ、週末の民謡ライブや沖縄芝居など沖縄の文化に触れられるイベントをたくさんやっています。ぜひ近くに行った際は訪れてみてくださいませ!